立ち上がって気づくこともあるかの?
これは、わしのつぶやきじゃ。あんまし考えずに書いちょるが、まあ慣らし運転みたいな感じじゃ。「ご当地キャラ」「ゆるキャラ」同輩諸氏に、こういうメタ的な振る舞いをしてる者はあるのかのぅ。
わしらにとって大事なのは、なにを語るか、どのように振る舞うのか、じゃ。
なにも語らず、どのように振る舞うかも定義されておらぬまま、ただ「ゆるキャラ」をやっちょらんかの?そりゃ、つらいじゃろの。。。
「公募で出来ちゃったり、担当した人がいなくなっちゃったり」…ふむふむそりゃ確かに困るんじゃろうけども、の。
なにかのマークとして使うんなら「語らん」ことも考えられるが、動き始めたら、どのように動くかを考えなきゃいかんじゃろ。
しかし、いざ動こうとなると、行政は「やっちゃいかんこと」ばっかりキメゴトになるじゃろう。悪い事例ばっかり目に入るじゃろうし、のう。気の毒じゃね。
仏作って魂入れず、とはいわんが、魂入れなきゃいかんことを、立ち上がって初めて気づくこともあるんじゃないかの。ま、そのくらい「地域活性化」にとって、わかりやすく効果的なソリューションにみえたんじゃろうのう…。
でも、あとからだって「魂入れる」方法はあると思うんじゃ。
わしらにとっての魂、って、どんなもんじゃろうか。考えていくぞい。