貧しいココロ
今の世代の人々のココロが、どこか貧しくなってしまったと感じることがあります。例えば、ラーメン屋さんで提供される無料のライスについて考えてみましょう。
最近、無料のライスを平気で残す人が増えてきました。これ自体も問題ですが、その背後にある心の変化こそが、私たちが向き合うべき課題ではないでしょうか。
本来、無料のライスは、ラーメン屋さんからの心のこもったサービスです。しかし、多くの人はそのサービスに感謝するのではなく、「どうせラーメンの価格にライスのコストが含まれているのだろう」とか、「無料のものを残して何が悪い」といった考え方をします。
このような態度が、昔と比べて当たり前のようになってしまったことに、私はココロの貧しさを感じます。
かつては、出された食事は有料であろうと無料であろうと、ありがたくいただき、残す場合には「申し訳ありません」と一言添えるのが普通でした。
それは、作ってくれた人への感謝や礼儀の表れです。しかし、今では「お金を払えばいい」「こっちは客だから」といった態度が目立つようになり、食べ物を残しても何も言わずに店を出る人が増えています。
忙しい店員に声をかけるのが面倒だと思っているのかもしれませんが、こうした無言での振る舞いが常態化していることに、私は深い懸念を抱いています。
これは単なるライスの話ではなく、社会全体で見られる心の変化の一例です。いつからか、お金さえ払えばそれで良い、サービスを受ける側が優位であるという考え方が広がり、人と人との間にあった礼儀や感謝が軽視されるようになってしまいました。
たとえば、無料のライスを提供してくれる店側の心遣いに対し、感謝の気持ちを持たないどころか、「どうせ無料だから」という無関心な態度を取る。この無関心こそ、心の貧しさを象徴しているように感じます。
豊かな心とは、物理的な豊かさや経済的な余裕ではなく、他者への感謝や思いやり、そして礼儀の中に育まれるものです。ライスの無料提供という小さな場面にも、そこには店員の思いや、顧客に対する感謝の気持ちが込められています。
その心に気づき、感謝し、必要があれば「残してしまってすみません」と一言添えること。それが礼儀であり、心の豊かさの表れだと思います。
現代社会では、利便性が向上し、デジタル技術が生活のあらゆる場面に浸透しています。これ自体は素晴らしい進歩ですが、その反面、人と人との関わりが希薄になりがちです。
サービスを受ける側が優位だという考えが広まり、感謝や礼儀を軽視する風潮が生まれてしまっています。こうした風潮が、私たちの心の豊かさを蝕んでいるのではないでしょうか。
ライスを残すという行為は、小さな事象に過ぎません。
しかし、その背後にある「感謝の欠如」や「他者への配慮不足」といった問題は、社会全体で共有されている心の状態を反映していると考えられます。
お金を払ってサービスを受けることが当然だという考え方ではなく、その背後にある人の気持ちに目を向け、感謝し、丁寧に応対する。それが、ココロを豊かにするための一歩ではないでしょうか。
ココロが貧しいと感じる現代において、私たちは再び感謝の心や礼儀を大切にし、他者との関わりをより深く、温かくする必要があります。
カネを払えばいいという考え方ではなく、相手の思いやりや努力に対して敬意を持ち、感謝を示すこと。
それこそが、真の豊かさに繋がると私は信じています。