2024年杉山のできごとまとめ
杉山です、2024年は感謝と激動の一年でした。
日々日記がつけれないのでこの機に印象的なライブやお仕事をまとめようと思います。と、言いつつ一番衝撃だったRYUTistの話が多めです。
1月
・TENDOUJIの10周年スタートでwebをリニューアル
・自分のポートフォリオもリニューアルした。
・LOSTAGEのツアーにTENDOUJIが対バンで呼ばれる
2月
・HOT DOG LOVEの自主企画の手伝い
・FLAKE RECORDSグッズを担当
・憧れだったガリガリガリクソンさんと出会う
・BILLIE IDLEを見に行ってた時代に知り合えなかったスギムさん、愛どんさんと出会う。
3月
・TENDOUJIのニューロゴ解禁、ケンジさんとめちゃ練ったので自信あり
・KOTORIグッズ担当 横山くんと結構ノックした
・OTENTOで大先輩、思い出野郎Aチームの皆さんと出会う
4月
・仕事で大阪通う生活始まる
5月
・TENDOUJIアルバム発売、ブックレット周り色々作った
5月26日
・RYUTistインストアへ 横山実郁さんに初めて会う、これを機に漫画レポ描き始める
6月
・急通大阪のフライヤー作る、この辺から動き出した感じある
・RYUTistインストアで実郁さんに昨日いたのに来なかったでしょ?と言われる
7月
・担当した清竜人25のグッズやロゴが解禁(3ヶ月ほど孤独に制作したものが解禁され感動もひとしお)
・group_inouのためにナイト券でフジロックへ
8月
・8月末より新代田FEVER横のPOOTLEで個展、ほぼ1人で鬼の制作、LOSTAGEの五味さんの展示からのバトンタッチというトンデモ展開
9月
・自分の展示期間中にRYUTistメンバー全員卒業発表…
・Group2企画でTENDOUJIと対バン!2者との出会いにデカ節目を感じる
・RYUTistフリーライブ新宿へ 新潟行きと最後まで見届けることを決意
10月
・Tempalay@日本武道館
・RYUTistと君島大空ツーマン @ MARZ
・チェキに並んだアイナ・ジ・エンドさんのグッズデザイン担当
・RYUTistのホームである新潟県 / 古町どんどんとGOLDEN PIGSで見る、行けるところはもっと行くことを決意
・TENDOUJI / Helsinki Lambda Club / the dadadadysのスリーマン @FEVER
初めて全組デザイン携わった出演者のイベント
・HOT DOG LOVEの初CDできた
・HOT DOG LOVEのイベントで7年ぶりにDJ
・ドミコグッズデザイン(大健闘できたと実感)
・新潟に行ったことでシビックプライド / 関係人口について考え始める
11月
・岐阜大垣で展示設営で10日くらい滞在、ここでシビックプライドの話が出る、行動に伴ったことが巡ってきたことを実感。
・TENDOUJI / クリトリックリスツーマン @ FANDANGO
・RYUTistと柴田聡子 ツーマン @浅草花劇場
・Instagram、安齋肇さんに見られる(いまだに理由不明)
・TENDOUJI / 10th Anniv.Big party @Zepp Shinjuku デカ文字演出手伝う
・RYUTistラストインストアから牛尾憲輔の初ワンマン@LIQUIDROOM
・RYUTist 横山実郁生誕 みくんち @MARZ
12月
・RYUTist LAST HOME LIVE @渋谷クアトロ
・ドミコ@Zepp Shinjuku
・8otto 20th Anniv.@味園ユニバース
・RYUTist 新潟で最後の特典会
・TENDOUJI 全曲ライブ2日目でダイブ
・SPOILMAN @王子飛鳥公園
・HOT DOG LOVEと大阪で3日過ごす
月別総括(もう長いと思いますが)
2024年は、これまでの自分の歩みが結実するような出来事が多かったです。特に自分の活動や、スキルが単に頼まれるだけではなく、認められていくような確かなものがありました。TENDOUJIの10周年に始まった実感が強い1年でしたが、、いきなり1月に杉山が敬愛する奈良のLOSTAGEのツアーにTENDOUJIが呼ばれるという、日本でいや、世界で一番俺が嬉しい、もはや俺だけの感情のような1日でした。諦めないでよかったという出来事の連続はここから始まりました。早速端折りますが、5月からいきます。
5月
RYUTistの立川のフリーライブになんとなく行ってみました。横山実郁さんのインスタライブだけ見てた自分が、名前を伝えると実郁さんはアイコンと名前で一致したようですでに知られているということがあり衝撃、ちょくちょく行ってみようかな!と思い始めます。この頃、卒業が待っているとは知らず…………….。
6月
やついフェスには行かず、やついフェス後のRYUTistインストアだけ見て、特典会は行かず、翌日の錦糸町のインストアの二部だけ見に行きました。今思い返すと愚行オブ愚行。しかしインストア特典会では、昨日いたの見えてたよ〜!特典会来なかったよね♪と言われる………………
7月
グッズデザインを依頼をいただいた清竜人25の新メンバーでのお披露目ライブがありました。かつて竜人さんの楽曲(メンバー曲も)を聴いていた自分としてはとんでもない出来事でした。25のアイドル時期はがっつり抜け落ちていたので、聴いていませんでしたが、依頼いただいてから3ヶ月は竜人さんの曲、提供曲を聴きまくっていました。特にウェンディは10年越しにめっちゃ聞いてます。Will you marry me?やっぱいいよねえ…楽屋挨拶させていただきましたが、竜人さんの顔しか見れませんでした。
月末は、真夜中のgroup_inouの出番を目的に、フジロックに行きました。真夜中のラストMAYBEは最高でした。イノウが好きでよかった!と味わえる朝と夜の間、最高でした。1人で行ったのに会場には知ってる顔がたくさんあって、全く暇しませんでした。ありがとう会場であったみなさん。
8月
月末に新代田FEVER横にあるPOOTLEで展示があるため、仕事後、土日、盆休み全ベットで作っていました。全てがギリギリでしたが1人にしてはよくやったと褒めたいです。2022年末以降のものだけに限定し、量も出せました。五味岳久さん、長島涼平さん、中尾憲太郎さん、ハヤシヒロユキさん、渡邉忍さん、と自分が高校生の頃に鬼リピしていたバンドの方々が来てくださいました。初めてFEVERにライブを見に来た時は1人できて、1人で帰っていました。こんなことあるんだな…諦めないで続けてきてよかったと覚える毎日でした。そして店長の西村さん/あやさんには本当にお世話になりました。会期中のBGMも褒めてくださって、音楽好きで本当に良かった…と噛み締めながら、最終日は1人飲みしました。コンテンツが溢れまくった現代に、自分のために時間を作って来てくれる人を待つということもとても尊い時間でした。ご来場の皆様ありがとうございました。
9月
その展示が始まった数日後にRYUTistのメンバー卒業が発表されたことで、卒業のその日まで応援することを決意しました。(今となっては卒業後も応援し続ける!という気持ちになっていることが嬉しい)月末のフリーライブに当選し、初めてライブハウスで見ることになります。この日、ALIVEを初めてライブで見ました。RYUTistは必ず新潟で見なきゃ!と、翌月10月の古町どんどんで見ることを決意します。この頃から絵を練習する頻度が一気に上がりました。他人の目線や恥ずかしさはあったものの、気にしても仕方ないと思うようになり、猛練習の日々が始まりました。
10月
RYUTistを見に、新潟古町へ。いちアーティストひと組のための遠征は実は初めてでした。景色から、空気から、街そのものに圧倒されました。古町どんどんと、ライブハウスGOLDEN PIGSで見ました!この日やっと、、、初めてファンの方たちと話しました。数日後、君島大空さん独奏とのバッチリツーマンにも感動。好きな曲がどんどん増えていきます。というものの会場ではぼーっと1人です。その寂しさの一方、自分がよく行っているライブハウス周りでは、先輩方から後輩まで、交流の幅を感じるようになりました。 よくライブハウス行ってるね〜と言われるようになった。
11月
RYUTistを知るきっかけになった柴田聡子さんとのツーマンを見に行きました。曲を聞いたり、映像見たり油断すると泣くようになるような状態になってしまいました。この日のナイスポーズ、WOOT!、ラッキーカラーは格別でした。またこんな日が来ることを信じて、生きていこうと思う日でした。この頃から、ファンの人たちとライブ前後に話せるようになりました。卒業1ヶ月前にしてやっと。。。
TENDOUJIの10周年記念ライブで、演出のロゴを作りました。全30曲分描いたところ、すごい!!といろんな方から言われました、投稿も一番いいね!がついた、、全然苦ではないので、これが天職かと思いました。その日の夜、「世界で一番ロゴ作らなそうな顔してる」とある方に言われました、めっちゃ褒められてると自覚しました。TENDOUJIに出会ってからのこれまでも書きたいけど、、いつになるやら。
12月
RYUTistのラストライブと特典会がありました。詳しくは別記事で書きますが、彼女たちのおかげで9月〜12月がとッッても充実したものになりました。それはライブがあるから、イベントがあることとは、別に日々の気持ちの充足が常にありました。ファンアートイラストや発言はメンバーに見られたい、いわゆる認知厨というものが始まりでした。しかしそのおかげで自分はRYUTistに対して、失礼な態度、恥ずかしい発言などはできない、してはいけないと思うようになりました。実郁さんは「RYUTistのファンであることを誇りに思って欲しい、そういうグループでありたい」と逐一伝えていました。逆を言えば、彼女たちにとって誇りに思ってもらえるファン(人間)でいたい、と思うようになりました。自分は言ってしまえば、ぽっと出の絵が描ける目立ちたい新参です。こんな絵でいいかなと思うことや、急いでしまうこともありましたが、暖かく迎え入れてくれたファンの皆さん本当にありがとうございました。そして何より毎回丁寧に反応をくれた実郁さんありがとうございます。なかなかできることではありません。自分もそんな気遣いや丁寧さを身につけたい…。。アイドルにおいて、ファンとメンバーは合わせ鏡というような意見を見受けます、純粋な相互の関係性がRYUTistとファンの間にありました。彼女たちの真摯さにファンの1人1人が呼応していたのだと思います。これは自分がいくライブハウスやバンドではなかなか見られない現象なので毎度感動しています。(ライブハウスの空気はもちろん大好きなので誤解なきよう…!)
メンバーやファンの皆さんに見られている感覚、振る舞いが、RYUTist以外に対しても強く思えるようになりました。自分だけの大義を抱いて目の前の誰か、見えない誰かを平気で貶めたり、ふざけたり、攻撃するような人間にはなりたくない(これまでの振る舞いで杉山に苛立ちを感じた方には反省し、謝ります)それと共に、自分のこれまでの歩みを、絶対に絶対に絶対にあきらめないと前よりも強く意識するようになりました。今年はあきらめず続けてきた自分の歩みが結実するできごとの連続でした。春から夏、秋から冬と徐々にそんな波を感じていたのですが、卒業を発表した9月からのRYUTistが最後に教えてくれたような、ずっと隣にいて背中を押してくれたような3ヶ月間でした。
RYUTistの最後のライブのタイトルは「ありがとね、ほんとにね」というタイトルでした。これは代表曲「ラリリレル」の歌い出しの一節です。自分はロックバンドの中でもオルタナの系譜の曲が好きなので、最初に「ラリリレル」を聞いた時に、可愛さや幼さとローカル特有の空気全開だったからかなかなか受けいれませんでした。(最近の曲の方がいいじゃん!!ってずっと思ってました)しかし2024年10月の古町どんどん以降、この曲の意味というか、RYUTistに込められた祈りに近い何かが少しずつわかります。見栄をはらず、真摯で実直なRYUTistの姿勢にピッタリなのです。クアトロのラストを飾ったのもラリリレルでした(しかも2回)。もう一つ好きになった「口笛吹いて」という曲の中で「あわてないでいこう やなこともあるけど」と歌っています。なんか色々焦ってたな〜自分と思い返し、この3ヶ月、RYUTistのひとつひとつが心にフィットすることだらけで、ほんとうに出会うべくして出会ったグループだなと何度も噛み締めています。
ここに来て無理やりまとめますが、他ならず杉山と出会ったみなさんにも伝えたいです、、
ありがとね、ほんとにね。
来年も、またあおね。
読んでくれてせんきゅー!
RYUTistとの半年間については別記事で!
(いやほぼRYUTistのことだったな…)