ゴジラ映画の「文法」に則った場面展開:ゴジラ-1.0を見て(2)
ゴジラ-1.0論2回目です。
またもネタバレなので未見の方はお気をつけください
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昨日は、ゴジラ-1.0は、リアリティと虚構の入れ込み方が絶妙で、「怪獣映画」としてすんなり割り切ってみることができたという話をしました。それはどのあたりで、なぜ?というのが今日のお題です。
映画の冒頭、爆弾を搭載した単発のプロペラ機の洋上飛行から始まります。特攻に出撃した零戦52型です(冒頭映像では翼長が零戦にしては短く感じたので雷電かと一瞬思いましたが、私の錯覚だったようです、着陸した機体はロケット排気管などから見て零戦52型と思われます)。
そして爆弾を抱いたまま小さい島の滑走路に着陸。第二次世界大戦に詳しい人なら、この時点で特攻機の緊急着陸だと気づくでしょうし、この時点で虚偽申告による特攻作戦拒否の可能性が頭に浮かぶでしょう。これは「リアリティ」の描写です。
ただこの場面ではその「リアリティ」は本題ではありません。ポイントはこの島が「大戸島」だということです。「大戸島」という島は実在しません。けれど特撮好きなら知らぬものはいません。
「大戸島」とは、1954年版のオリジナルの「ゴジラ」でゴジラが初めて出現した島の名前なのです(『究極超人あーる』に出てくる「大戸島さんご」がこの「大戸島」にちなんでいるのは言うまでもないことですね)。
この時点で、「この映画はゴジラ映画の『文法』に則った映画」だということが伝わってくるわけです。
正直、私は、「マイナスワン」というタイトルから、「実はコメディ映画ではなかろうか?」という疑いが捨てきれませんでした。しかし、「特攻機が大戸島に緊急着陸する」という冒頭の場面は、その疑いを払拭する効果がありました。
(なお、「シン・ゴジラ」で「大戸島」の名前が出てくるのは39分あたりです)
劇中では、このすぐあとにゴジラが出現しますが、これは「ゴジラ対キングギドラ」(1991年)で、日米が交戦中の「ラゴス島」で米軍を壊滅させたゴジラザウルスを思い出させます。
ただし、怪獣としてのゴジラの出現のためには核実験が必要というのはゴジラ映画のお約束です。なので、このときに出現したゴジラは、「ラゴス島のゴジラザウルス」同様にあくまで恐竜の生き残りであり、火炎を吐く怪獣ではありません。
恐竜が怪獣「ゴジラ」に変身するために必要な核実験として、「クロスロード作戦」がこのあとで描写されます。これは実際に行われた核実験で、旧日本海軍からは戦艦長門や軽巡酒匂が標的として使用されました。(そのため、「ゴジラ対長門」はないのかとちょっとがっかりはしましたが)
次に来るのがリアリティの描写。敷島が機雷除去任務に就くところです。これは実際に第2次世界大戦後に大きな問題となったもので、旧海軍軍人たちが従事した任務でもあります。ごく最近も機雷が見つかってます。
こうした、虚実取り混ぜた世界観の描写で、違和感なく映画の中に入っていけました。
これだけの「下ごしらえ」の上でゴジラが出現します。
そしてこの場面、「大戸島」に引き続き、あ、これは「怪獣映画だ!!」といういくつもの仕掛けが。
ゴジラは有楽町から銀座方面に前進。そうすると当然山手線・京浜東北線・東海道線のガードを通過します。これ自体が「ゴジラ映画のお約束」でもあります。オリジナルの1954年版のゴジラも同じコースを歩き、ここで電車をつかみます。さらに言えば、1984年版ゴジラでも、ここで東海道新幹線をつかみます。そして今回も、国電(京浜東北線?)をつかみました。
ここで、「あ、この映画がゴジラ映画の『お作法』に忠実なんだという安心感を得ることができました。
そしてこの場面、1954年版では直前までテレビ中継をするクルーがいて、「みなさん、さようなら・・・・」となるわけですが、これもまた再現されます。
このように、これまでの場面の描写の中で、1954年版の「ゴジラ」をレスペクトして作っていることがわかります。特に、この映画は「パニックシミュレーション映画」ではなく、ましてや「コメディ」でもなく、これまでのゴジラシリーズをリスペクトしながら作った「怪獣映画」だと言うことが伝わってくるのです。そこで、細かな事実関係の齟齬は気にならなくなりました。だってこれは、フィクションでしかあり得ない「怪獣映画」なわけですから。
また長くなってしまったので続きは次回に。「怪獣映画のお作法」に則った流れがまだまだ続いていきます。