「FRの頃」 5.得意だったのは。
編集アシスタントとしての仕事にはコピー取りとかお使いとかありまししたが、私が得意にしていたのは「紙焼き」でした。他のもっとレベルの高い仕事については、どうにも勘が鈍くて、短い説明を受けてパッと仕事をすることができずに苦労しましたが、視力がよかったおかげか紙焼きについては問題なかったのではないかと思います。当時の紙焼き機は手動でピントを合わせなければなりませんでしたので、視力がいいと漫画やイラストの網点がはっきり見えるのでピントを合わせやすいのです。
でも深夜になって「Sくん、これ紙焼き取ってきて」と頼まれるのは、私が紙焼きの腕が立つからではなく、女性スタッフは終電だからかわいそうだけどあいつならいいや、という意味だったのは承知してます。それでも当時の何もできない自分にとっては「紙焼きはいくらでも言って! 得意だから」という気分でした。
紙焼き機は社内デザイナーさんが仕事するマンションにあり、入稿の時期になると暗室に籠もって何時間も紙焼きをとっていました。私に深夜紙焼きを依頼してくれるのはチーフデザイナーでありエディトリアルデザイナーでもあるYさんが多かったです。彼女に「すぎくん、いいかなあ」と呼ばれるのがとても嬉しかったことを覚えてます。
Yさんはみんなに尊敬されるデザイナーであり、編集であり、サイタニさんの元妻でした。旧「ぱふ」からサイタニさんについてきたスタッフでもあります。深夜につい「なんでサイタニさんなんかと結婚されたんですか?」と猛烈に不躾なことを尋ねたことがありました。Yさんは「あのときは東京にいたかったのよね。独身だと帰ってこいって実家がうるさかったから」と仰って笑っておいででした。本当のことはわかりません。数年後ですが YさんはFPに残ったまま早逝なさいました。
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