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エッグマックマフィンさんが教えてくれたこと――信頼関係の儚さ

 わたしは大学生時代、マクドナルドでアルバイトをしていたことがある。
 早朝の朝マックの時間帯がメインで、今までにくるんだマフィンの個数はもちろん覚えていない。

 そんなアルバイト時代の忘れられないエピソードに、「エッグマックマフィンさん」がある。
 これは本当に些細な話であり、人によっては次の日には忘れてしまうような話なのかもしれない。
 でもわたしの頭には、どういうわけか今日までこびりついているのだ。

 エッグマックマフィンさんは当時50代くらいの男性であり、平日の朝に来店しては必ずエッグマックマフィンとホットコーヒーをテイクアウトするお客様だった。

 おそらく職場に持っていくのだろう。
 ……間違っても電車内には持ち込んでいないことを願う。

 エッグマックマフィンは、たまごとハム、スライスチーズがマフィンでサンドされたシンプルな一品だ。
 ハムの塩加減がぷるぷるとしたタマゴのちょうどよいアクセントになっている完成度の高いメニューだが、もしかしたら印象は薄いかもしれない。
 なぜなら朝マック界のトップには、ソーセージエッグマフィンという王者が君臨しているからだ。朝マックといえば、ジューシーで香り高いソーセージバディを食べたいという人が多く、わたしもその一人であった。
 だからこそ、必ずエッグマックマフィンを注文するこの紳士のことが印象に残っていたのかもしれない。

 エッグマックマフィンさんが来店すると、オーダーが入る前に「エッグマックマフィン作って」とキッチンに伝えられる。
 すぐに提供できるよう準備万端でレジ横に用意しておくのだ。

 しかしある朝、事件が起こった。

 エッグマックマフィンさんが、フィレオフィッシュを注文したのである。

 文字にすると何とも奇妙だが

 あの日、確かに彼はハムではなくスケソウダラを選んだのだ。

 事件とは言ったが、ただ単にフィレオフィッシュを作るだけなので、全く問題には至っていないし、ましてや元エッグマックマフィンさんが「悪いことをした」などとは一ミリも思っていない。
 ただ記事の中でキャッチーに表現したいだけだ。

 しかし、この日以降、わたしがバイトを辞める二年後まで
 彼が再びエッグマックマフィンさんと呼ばれることはなくなり
 加えて、事前にエッグマックマフィンが作られることはなくなった。

 若き日のわたしは、この一連の出来事から
「信頼を失うのは一瞬で、取り戻すのは難しい」
 ということを、あらためて肌で実感した。

 この件は、どう考えても我々店員側が彼に対し
「必ずエッグマックマフィンを注文する」
 という一方的な信頼が寄せていたことに問題があるだろう。

 しかし、「たった一度のフィレオフィッシュ」がこの関係を壊してしまったのは事実だ。

 なぜ一度壊れた信頼を取り戻すのが難しいのか?

 それはもちろん、彼が「また別のものを頼むのではないか?」という可能性を捨てきれなくなるからである。
 なぜなら彼には「一度スケソウダラを選んだ」という実績があるからだ。

「一度失った信頼を取り戻すのは難しい」という言葉はよく耳にすると思うが、このような形で、このことをシンプルに実感できるような出来事に出くわすとは思っていなかった。
 
 おそらく、当時のバイト仲間でこの話を覚えている人は誰もいないことだろう。
 わたしの心にエッグマックマフィンさんと共に残っているささやかな思い出だ。

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