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ミラノ風ドリアは半熟卵入りにすると5倍美味しい

 大学時代の思い出は、何もかもが新鮮な体験ばかりで、そのどれもが異彩を放っている。ときどき、夢だったのではないかと思うほどだ。特に私は、高校を半年で中退し、三年ほど「半引きこもり」生活を経験していた。だからこそ、「みんなでサイゼリヤに行った」という些細な出来事まで、今でも心の片隅に残っているのだろう。

 この夢のような日々の記憶は、コロナ禍以降ますます遠のいていった。大学時代の友人と会う機会がめっきりなくなったからだろう。

 だからこそ昨年の夏、大学時代の友人3名と再会できたときは、久々にあの世界に戻れたような感覚があった。彼らも私と同じ「夢」を覚えている。彼らと話すと、大学時代の思い出が鮮やかに蘇る──

 特に我々の間で必ず話題になるのは、大学一年生の前期試験期間中、七月の蒸し暑い日のことだ。
 冷房の効いた図書館に集まって試験勉強をしていたところ、同じ学科の女子グループ4名が現れた。小声で挨拶をすると、その中の一人が「この席、いい?」と聞いてきた。我々は快諾し、自然と一緒に勉強する形になった。

 それから図書館を離れ、試験の教室に向かっている最中のこと、女子グループのミホが突然思いついたように
「ねえ! 今日の試験終わったらさ、みんなでオツカレ会しない!?」
 と我々を誘ってくれたのだ。ミホは我々全員と面識があった。

 このことが話題にあがる度、我々は口をそろえて言う。
「ミホちゃんの誘い、人生で一番ブチ上がったよな!」と。
 大学入学からまだ3か月。ウブだった我々にとって、この上なく気持ちが昂るイベントだった。その日の試験が全て上の空だったのは言うまでもない。

 そのオツカレ会が開かれたのが、サイゼリヤだった。

「横座っていい?」
「もちろん!」
 ラクロスの細長いバッグを持った女子が、私の隣に座る。お互いに「顔は見たことあるよね」と笑いながら、携帯電話の赤外線通信で連絡先を交換した。彼女はショウコといった。
 実は、ショウコが今の妻なんです……となることはなかったのだが、彼女は「ミラノ風ドリアは半熟卵入りにすると5倍美味しい」というとても大切なことを教えてくれた。私はその日、初めて「半熟卵のミラノ風ドリア」に出会った。
 ショウコは食べ方にこだわりがあった。最初から半熟卵に手はつけない。まずは皿の縁近くの、焼き目のついたホワイトソースとミートソースだけでドリアを楽しむ。この後ようやく半熟卵に手をつけるのだが、一気には混ぜない。少しずつ混ぜてゆく。こうすることで、ドリアそのままの部分と、半熟卵が溶け合ったまろやかな部分との差が明確になり、二度も三度も楽しめる。特に、トロトロの黄身とライスの絡み方はたまらなかった。あまりの美味しさに感激する私を見て、ショウコは隣で笑った。食べ方は人それぞれあるだろうが、私は今でもこの方法を実践している。

 オツカレ会での話は、試験の手応えや部活、受験生の頃の話など多岐にわたったが、最後の最後に出てきた「ミホのクズ彼氏の愚痴」が想像以上に盛り上がり、全員でカラオケになだれ込んだ。

 ヤニの匂いが残るカラオケボックスでクタクタのソファに腰掛けながら、私はしみじみとその半年前の自分を思った。
 受験ラストスパートの自分に
「おい、半年後のお前は女子とカラオケに行ってるぞ。いま一番つらいだろうけど報われるよ」と、心の中で呼びかけていた。

 最後に全員で『世界に一つだけの花』をマイクを回しながら歌い、オツカレ会は幕を閉じた。

「じゃーね! マイミク追加しとくね!」と口々に言いながら駅で別れ、人波に消えていった。


 あのときの私たちが何を話していたのか、だんだんと記憶が曖昧になってきている。当時は話の内容をしっかり覚えていたのに。壁に掛けられていた絵が『最後の晩餐』だったことは覚えているのに。
 やはり「夢」は、忘れていくものなのだろうか。抱えきれないほどの現実に追いやられていくもので、忘却は仕方がないことなのかもしれない。

 それでもきっと、私はこれからもミラノ風ドリアに半熟卵をトッピングするのだろう。そう確信している。



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#サイゼ文学賞

 最近全然行ってないけど、辛味チキンとアロスティチーニと柔らか青豆の温サラダでワインを飲みたい。小エビのサラダも捨てがたいなぁ。
 そして〆に、半熟卵のミラノ風ドリア。

「赤外線通信」と「マイミク」って注釈いりますか?

 読んでいただき、ありがとうございました。

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