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目に見えないシャッターを切る日

日記とメモの中間のような「自分ノート」を運用している。自分が感じたことに、自分でかたちを与えるためにやっている。

内容は瑣末なことも多い。7個入り158円の愛媛県産キウイがおいしかったとか、手が滑ってぬるいごはんを全身かぶってかなしいとか。

出先で(ああ、今、自分ノートがここにあったらな)と思うことがある。瞬間、心のビデオカメラが回りだす。あるいは、フィルムカメラのシャッターが切れる。わたしはふだん、記憶力のポンコツさで多くのことにつまずいているのだが、ノートのことを思いながら風景を見ると、あとで自由に記憶を取り出すことができる。ふしぎ。

それだけじゃない。朝焼けの山がきれいだな、この気持ちをノートに書きたいな、と思うと、遠くにあるはずの、紅葉した木の1本1本が見えた。"目"から変わる。高精細・高発色。

今日は、宵の明星の強い瞬きを録画した。心で。
同じころ、消えそうな三日月も撮った。心で。

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