杉本=ヨハネ インタビュー
「杉本=ヨハネってどんな人?」
「FT書房ってどんなところ?」
という疑問は、メルマガ読者の方々も、多かれ少なかれお持ちではないでしょうか?
杉本=ヨハネはゲームブックというジャンルを中心に活動する作家で、FT書房はその杉本がリーダーを務めるゲームブック制作集団です。
このシリーズは、杉本=ヨハネ本人のインタビューを通して、FT書房の全容を解明していこうという企画でございます。
FT書房メンバーの1人である、清水龍之介がインタビュアーとして深く切り込んでいく様子をお楽しみ下さい!
『~FT書房のメンバーについて~』
──FT書房とは一体どのようなグループなのですか?
元々は同志社大学のテーブルゲーム系サークルのメンバーに、僕が声をかけて作ったグループです。
執筆者の清水や、編集の中野などは後から入ったメンバーですね。
──最初は何人だったのですか?
最初は11人で、現在は13名です。
──多いですね。
そうですね。サークル自体のメンバーが40人くらいいて、「お、こいつはこういう力があるな」と思ったメンバーや、僕が作るようなゲームが単に好きっていう人間をピックアップして、「もうすでにメンバーだからね」という感じで半ば強制的に決めてしまいました(笑)
──メンバーが13人もいると、まとめるのが大変なのではないでしょうか?
基本的にはみんなやる気が高いので。
まとめるというよりは、「それぞれがやることをやる」というスタンスをとっています。
もともとの雰囲気もそうですし、そうなった背景に、作品を多く作っていく中で、分業が進んでいったというのもあります。
ゲームブックというのは、本でもあり、ゲームでもあるために、制作には時間と労力がかかります。
まかせた作業に対する決定自体を、その担当にあたる人間に、どんどんまかせていきます。
そうすると、それぞれが勝手にやりたいことをやって、収拾がつかない、ということになってしまうと思われがちなんですけれど。
協調と個性の両立を心がけるように、アンバランスな作品にはならないように気をつけてもらっています。
──ということは、担当者それぞれが一つの作者であるということでしょうか?
はい。そういう考えを持っております。
一人の執筆者が統括して、「ああしてほしい、こうしてほしい」というスタイルもあると思います。
私たちは、1人1人のスペシャリストが、たとえば、「編集のほうは俺にまかせとけ」といった感じでレベルの高いものを作り、「清水がこういうものを好むから、これを取り入れてみよう」というやり方で挑んでいます。
そのほうが、最終的にはのびのびとした作品になりますし、長期的にみたときに、似たテイストのものができづらくなる、読者に飽きが来ないようにできると思っています。
──なるほど。それはつまり、作家が編集をすべてできるわけではないし、それぞれの分野でそれぞれの担当が最大限の強みの活かしたものが商品になるわけですからね。
そうですね。
──メンバーがたくさんいますが、どのようなメンバーなのでしょうか?
執筆者が5人、挿絵を描く人間が3人、編集が2人。
他には製作担当、郵送担当、売り子担当なんかもいますね。
──執筆者5人というのは、出している作品に対して少ないように思うのですが、レギュラーのメンバーが4人ということでしょうか?
はい、そうです。
わたくし杉本に、清水龍之介、ロア=スペイダー、丹野佑、山田賢治の5人です。
作品の数は、現在100作以上出していますが、5人いれば十分ですね。
──FT書房を作ろうと思ったもともとの動機とは一体どのようなものなのでしょうか?
直接的な動機としては、自分自身、子どもの頃からたくさん作品を書いてきたので、それを人に見せたいというのがありました。
それと、もうひとつ大きな理由がありまして。
ゲームブックというものを非常に愛して育ったにも関わらず、絶版という形でゲームブックがこの世界からどんどん少なくなっていく、消えていってしまう、ということを経験してきているわけなんです。
その中で、最初はコレクターとして、消えていく作品の保持を使命のように思って、できる限りゲームブックを見かけては古本屋で集めるということを繰り返していました。
んですけど、そのうちに、そんなことをしても本の数が増えるわけじゃない、と思いはじめたんです。
そこで、自分たちでもっともっとゲームブックを活発にさせていこう、ゲームブックが好きな人達同士が会話ができる場を作ったり、子どものころ体験した遊びを大人になっても楽しめるようにしよう、と。
そのためには、新しいゲームブックを出す以外の方法はないじゃないか! と思ったわけです。
そう考えた時に、最初は書きたいから書いていたのですが、書き上げたものを出す段階になって、この一作で終わるのか、これから何作も出すのかという部分で、自問自答があったわけです。
しかし、やっぱり私は、より多くの作品を出したいなと思っていることに気がつきました。
そこに気づいたときに、何のために出すの? って次は考えたわけです。
そこで、ゲームブックの世界を超豊かなものにしよう! そう思いました。
昔好きだったな、っていう人が戻ってくるようなことになれば、その人の人生はより豊かになると思いますし、今ゲームブックが好きな人たちも、衰退していくものを必死で好きでい続けるよりも、また今年も新作が出た! とか、次はいつ? っていう楽しみがあったほうが、絶対いいと思ったんです。
あるいは、ファンの人達の数が増えれば、ファン同士の対話ができたり、とにかく「熱」がほしかったんですよね。
──ゲームブックという媒体についてなのですが、ゲームブックというのは、大人でも遊んで楽しむに耐える媒体だとお考えでしょうか?
それは間違いなくそう思います。
──どんな点が?
ゲームブックというのは、そもそも、分岐型の小説なんです。
小説だと考えると分かりやすいんですが、おもしろいかどうかは、作品ひとつひとつの問題であって、ゲームブックかどうか、とはまた別のお話なんですね。
そのうえで、小説にはない特徴がいくつかあります。
読者が能動的に選択肢を選ぶわけですから、そこに楽しさや驚きがあるように作られていれば、かなり知的な楽しみになります。
さまざまに分岐して、入り組んだ迷路のようなつくりにもできますから、これもおもしろい。
知的迷宮のようなものですね。
もちろん、文章そのもののおもろしさも大切です。
小説ですからね。
ゲームブックは、小説を買う感覚で一冊ぽんっと買って楽しむ、という気軽な面も大いにあります。
ゲームブックを知らない人間でも、小説を読む感覚で読んでみて、それから好きになるということもできます。
そういう間口の広さは、現代においてはかえって、普通のテレビゲームよりもあるんじゃないでしょうか。
──なるほど。たとえば、ファンタジーに限定すると、テーブルトークとか、ああいったものも大人が遊びますよね。そういうものと比べて、ゲームブックというものは、共通点や相違点などはあるのでしょうか?
テーブルトークはゲームブックとよく比較されますが、私はゲームブックは電源系ゲームのほう、サウンドノベルなんかに近いんじゃないかと思っています。
テーブルトークとの共通点や相違点を考えると、ファンタジーの世界を仲間と共有するという意味においては、テーブルトークの類いのほうが優れている面があると思います。
ゲームブックはあくまでも1人でやるものなので、1人でやるという部分に大きなウエイトがかけられていると思います。
つまり、たとえば、テーブルトークの世界で、盗賊がいてその盗賊が、誰かの部屋を覗きたいと思ったときに、それが女の人の部屋だとして、女性プレイヤーが中に混じっていたとして、その発言を容易にすることができるでしょうか?
──難しいでしょうね。
難しいでしょう。
発言しないか、発言することによってその女性に不快感を与えてしまうか、その2つしか選択肢がないわけです。
その反面、ゲームブックは、一人でやるものなので、そのように周りに対して気兼ねすることなく、悪いことだったら本当に悪いことができるわけです。
そういう意味で「1人でやるゲーム」というところに特に魅力があります。
ただし、同じように1人でやるゲームとして、テレビゲームが今度は挙げられると思うんですよ。
しかしゲームブックに比べて、テレビゲームには別の制約がありますよね。
商業的な制約で、倫理的に反することを盛り込むことはできません。
たとえば、悪いことをしたら因果応報があって、今度はこっちに悪いことが起きるんじゃないじゃないか? という常識みたいなものです。
でもそれは僕が書きたいこと、あるいは表現したい世界そのものとは違うわけなんです。
僕が考える世界というのは、大きな意味での因果応報はありますけれども、ちょっとした何か出来事があったら必ず因果応報があるという単純なものではなく、人間はただ無能だから捕まってしまうのであって、それ以外の理由ではないわけです。
──なるほど。話を戻しますが、商業的に許されていないことを、ゲームブックはできるということですが。
正確に言えば、ゲームにはやりづらいことが、小説の世界では許されている、という話ですね。ゲームブックはその名前のとおり、ゲームでも本でもあります。
もちろん、状況が変われば、ステージに合わせた作品に調整しなければならなくなりますが。
──自分のやりたいこと以外のもの、あるいは型にはめられてしまうなど、本当に言いたいことが言えないなどといった危険が商業誌にはつきまとってしまうというお考えなのでしょうか?
商業誌には商業誌のメリットとデメリットがあると思います。
私は、世の中や人間の無情、あるいは不条理、というものを作品の中で表現したいと思っています。
しかし、それがやりづらい新しいステージに立ったときは、それを表現できる他の方法を探すつもりでいます。
もし、それができないとしたら、商業誌だからという理由ではなくて、私の技量が足りないからです。
──なるほど。商業誌にも関わらず、バンバンやっているスティーブ・ジャクソンについてひとことお願いできますか?
あれは、昔だからできたことだと思います(笑)
または、小説だから許されたという面があるのかもしれません。
でも、ゲームブックの読者は全般的に、そういった世界の不条理さというものを好むというか、愛しているというか、目に飛び込んでくる世界と、メディアを通して見た世界が違うということをやはり少なからず感じていて、その部分でスティーブ・ジャクソンに魅力を感じている面があると思うんですよ。
つまり普通に考えると、冒険と言えばワクワクと胸踊るものであるととらえがちなんですが、彼はとんでもなく意地の悪い人々をずらりと揃えて、その中にとても魅力的な宝物を散りばめて、さあ旅してこいよ! 行けよ! みたいな感じの物語を作っているんです。特殊な人物ですね。
──ヒロイックではないですよね。
ですね。でも、なぜか最初と最後でヒロイックなまとめ方をするんですよね。
──で、終わり良ければ全てよし、みたいな(笑)
そうなんです。あれはすごいですよね。よく思うんですよ。
なんかすごいスーパーヒーローだ、みたいなことを序文で書いてあるにも関わらず、ずいぶん簡単に死ぬじゃないかと子供心に思ったんですよ。
魔法を使ってヘロヘロになった挙げ句に、簡単にどこかに迷い込んで死んじゃったりしますからね。
──その辺が一般のRPGと違ってきますからね。
そうですね。
あと、これは僕が作る作らないではなく、ゲームブックそのものが、そういう世界の不条理さを表現してきたと思うんです。
ファイティング・ファンタジーであるとか、そういうゲームブックのメインストリームのひとつと言われるものは、『簡単に死んでしまう中世の人間』という部分での魅力を放っています。
これは、ゲームブックというものが一度でクリアされてしまうとシンプル過ぎるため、2回3回やって楽しみながら、クリアしていくように難易度を合わせて作る必要があるということに、主な原因があります。
やっぱり、死んでしまうゲームブックというのがやはり王道でして、そういう意味で、独特の世界観と、ゲームブックというシステムの必然性が直結しているという部分が魅力なのかもしれませんね。
──そんな状況で死んでしまうのか、という非現実的なところがおもしろいと。
むしろ、それが冒険の本来の姿、という気持ちですね。
岩場で足を滑らせたら、死んでしまう。
力量を読み間違えて、自分よりもつよい熊と戦ったら、死んでしまう。
世界には理不尽が溢れているということはみな知っているわけじゃないですか。
そういうものをまざまざと見せつけられるという意味でリアリティがあるわけです。
凝縮されたリアリティというんでしょうか。
──なるほど。そして、大人が言わないリアリティということですね。
そういうことですね。
【FT書房の自家製本について】
──FT書房の特徴として第一に挙げられる自家製本についてなのですが、家で本を作ろうと思ったのはどうしてでしょうか?
同人誌を印刷している会社にお願いしたらどうかという話が最初に出たんですが、いわゆるB5サイズのマンガの同人誌と比べて、文庫本サイズで何百ページもある本格的なゲームブックを作ると、非常にお金がかかってしまうということがわかっていたんですよ。
──ページ数の関係ですね。
そうです。
同人誌の印刷って言うのは、サイズよりもページ数そのものが単価の基準になっている傾向が強くあって、何十万もかかってしまうということがわかったんです。
──大体、1冊あたり何ページくらいになるんでしょうか。
そうですね~。
ここ数作でいくと400ページくらいですね。
──巷には、20ページで600円くらいする薄い本もある中で、400ページはすごいですよね。
まあ、マンガと小説はまた違いますし。
同人という切り口で考えると、同じになっちゃいますけど。
ゲームブックは子どものころから好きなので、急に好きになったこととは捉え方が違って、これから何冊も出すんだろうなという予感が自分の中にあったわけです。
そういう背景があったので、1冊ずつ、何十万もお金をかけてつくるやり方では、続かないだろうと。
日々生活する中で、ゲームブックを作り、それでお金をもらって生活も維持できるような、そんなレベルにいつか到達したいという欲望と目算があったので、他の方法を構築する必要があったわけです。
それじゃあ自分で作って手売りで行こうじゃないか、ということを考えました。
そのために、編集ソフトや最新型のパソコン、20万くらいするレーザープリンター、1~2万円するデカいホッチキスや、製本する為の裁断機、そういうものをもろもろ揃えました。
大体60万くらいかかりましたが、これから先ずっと、何冊でも何作品でも作品を作って行ける! と思ったら、それは必要な経費だと思いました。
──そうですか。現在は印刷会社を通した本ばかりですね。自家製本もしっかりしたつくりになっていますけれども、当初、クオリティといった面では、心配はなかったのでしょうか?
今はもう、自家製本では追いつかないぐらいに売れておりますので。
おかげさまで。ありがとうございます。
心配、ありました。
非常にありました(笑)
さきほど言った道具も、始めから全部用意できた訳ではなくてですね。
たとえば裁断機は後から入ってきたんですよ。
最初の頃は、普通に紙に印刷してホッチキスで留めて、カバーをつけて出したりしていたんですけれども、人間の手で揃えているので、端のほうがガタガタしたりとか、ちょっとひどかったですね。
その頃に買って頂いた方には、もちろん感謝もありますけれども、すまないなという気持ちもあったりしますね。
【FT新聞に対する意気込み、発刊までの経緯について】
──メールマガジン「FT新聞」に対して、どのような意気込みや期待があるのか教えていただけますでしょうか。
読者とつながるということがそれまで不十分だったと感じていて、いろんな方法を考えました。
それで、メールマガジンが良いのではないかと思ったんですね。
もちろん書くことが好きだし、シンプルでかつ、自分の表現したいこと、やりたいことにあっている。
それが出だしでした。
もうひとつには、うちの本は1500円くらいになるので、コミックマーケットのようなちょっとしたイベントの時にまぁ買ってみるか! という気持ちになられる方もいらっしゃると思うんですけれども、最初から買うよりも、どのようなものか教えて欲しいって思う人もいらっしゃると思ったんです。
だから、気軽に楽しんで、いつでも触れ合えるものがあれば、というのがコンセプトですよね。
──なるほど。これまでのお客さんに会う機会は、年に何回くらいでしょうか?
最初は年に3回くらいでした。
夏と冬のコミックマーケットと、ゲームマーケットに行くくらいですからね。
──それはやはり少ないですね。
今は、年間40個ぐらいのイベントに出ていますけども。
最初はそんなものでしたね。
サービスで、「闇の森を抜けて」などの無料のゲームブックを作ったりもしたんですよ。
──無料で、ゲームブックですか?
そうですね。項目数が206、つまり206パラグラフのゲームブックですね。けれど、それを作るとき、時間も費用もごっそりかかってしまったんですよ。
クオリティはそれなりに保てたんですが、イラストや表紙を印刷したり、いろんな費用を考えると、数を揃えるのはとても厳しかった。特に印刷にお金がかかりました。
それに比べるとメールマガジンは秀逸ですよね。書くことは大好きですし、楽しく続ける自信があり、それで楽しんでもらえればうれしいですよね。
──FT新聞が、既存のメールマガジンと違うところはどういうところでしょうか?
このメールマガジンは、広告のためのものじゃないんです。
作品を買ってくれた人が、私たちと触れ合えるように、と思ってやっています。
最終的なゴールラインや動機が違っているから、いろんなことが違います。
ゲームブックやファンタジーが好きな人が、集まっていられる場所になれればいいと思います。
──中身に広告はないのですか?
一切ありません!
【FT書房のこれからの目標について】
──FT書房のこれからの活動において、目標というものはありますか?
今後の目標は、初めてゲームブックをやってみた人たちが、ハマる名作を生み出していくことですね。
ゲームブックを愛好する昔ながらのファンに向けてのコアな作品をつくりつつ、新しいファンを獲得できるように、初心者向けの作品を出したいですね。
紙の書籍という形式に対して、強いこだわりを持っています。
1500円という価格は、本としてはふつうか、少し高い価格です。
でも、ゲームと考えると、非常に安いんですよ。
この価格を維持できるのは、書籍形式だからだと思います。
──なるほど。紙の書籍に強いこだわりがあるということですが、電子書籍とかデジタル媒体のものと比べて紙のもののもつ魅力ってものは何かあるんでしょうか?
あると思います。
紙には紙の、触るという感覚や、それからめくって、あるいは持ち運んでどこでも見ることができるということなど、特有のよさがあるというか。
紙のものというのはやはり、直接触れているという部分で、その、シャーマニズム的な考えなのかもしれませんが、自分自身と繋がっているという要素が非常に強く存在すると思っています。
──所有するというか。
所有するという意味でもそうですし、読むときに直接触れながらページをめくったり自分で触るということをここでは言いたいんですけれど、直接さわって愛でる、触るということですね。
『愛でる』はもう、字のとおり愛することを含んでいますから、そうやって触れてその中身に入っていくということが、僕がやりたい「冒険の世界の中に入っていく」ということに深いつながりがあるように捉えています。
──なるほど。物語の世界に旅立つ際シャーマン技を使うのに最も適したものが紙媒体であると。みなさんはシャーマンになるべきということですね。
それは、違いますね。
お相手は清水龍之介でした。