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そのまま

太宰治氏『逆行』を読んで

 スタジアムは熱狂の渦。皓皓と光るナイター照明、これは説明を聞くと一五〇〇ルクス以上を放っている。照らされるあからんだ青年、少女と中年たちは笑う。酒を飲む。大して選手は見ていないのだ。
 チームの監督を親族にもつ私は、仲間らにやれ「ディフェンスの彼は、まだ足裏のサイズが伸びているのだよ」と叫ぶ。仲間たちは、配給を待つ苦労人のように口を開けて聞くだけだ。「ミッドフィールダーの副キャプテン、もうすぐ結婚間近だって、ファンのおっかけ」。おっかけ、というのは近くの人にしかささやかない。物静かな小太りはそれをチラ見しては、またブツブツと応援歌を唱える。ドリブルもそうだが、緩急が人の心を揺さぶる。決して言葉でも身分でもない。緩急が人を操る。
 ハーフタイムを迎え、スコア二―〇。私はサッカー鑑賞同好会の女二人と、フランクフルトとビールを買いに外へ出た。「先輩、本当物知りですね!ね、ゴールキーパーの彼は何かないんですか」。新加入のこれには歯が立たぬ。「なかなかなじめてないらしい」と、言うと、前のカッターシャツの上にユニフォームを着た男ににらまれた。何を隠そう彼の背番号はゴールキーパーのものだ。「感じ悪いね」と黄色くはにかむ女の二の腕のほくろを見つけてさっとうれしくなった。
 ビールは半ば乾きかけていた。目をすぼめて売り子を探す、遥か遠くにいたおなごめがけて「おういおうい」と一所懸命に手を振った。腰も少し振っていた。
 酒を飲む。
――あなたの親族、監督じゃないですよね。
 先の小太りが休憩中に運動する控え選手を見ながら話しかけてきた。
――監督のインタビューで、東北出身の私の親族の全員が来てくれての勝利は感動した、と言っていました。あなた、広島出身ですよね。
 私は、うんともすんとも言わずに、ポケットの中から紙幣を探すふりをした。いつもはうらぶれた小金持ちを演出するためにポケットに突っ込んでいるのだが、掏られた。
――たまに本当のこと言うの、ソース、ネットの掲示板ですよね。コアなファンしかみない。そこのぼく、共同経営者なんで、よく分かります。
 そうなんだ、すごいね!と目を見開く。あからさまなファウルをうそぶく腐ったサッカー選手のようだ。我思うゆえに、嘘。
――まぁ、いいですけど。赤いは酒の咎って言いますし。先輩、泡ついてますよ、喉に。
 私はそれを拭わなかった。風が人工芝に波紋を描いた。隣の女の肌着が見えた。怒号。遠く蝉の声。星が見えたのです。
 小太りは、それから何も言わなかった。私が親族にもつのは苗字が同じ監督ではなく、ベンチスタッフだ。女が、「ねぇ」と言ってきたので、私はそのまま女と帰った。試合は二―四で負けたそうだ。酒を奢るや、女が去り、隣町のラーメン屋のテレビが放送した。

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