田町

『田町。田町。お降りの際足もとにご注意下さい』
 床屋には色々な人が来るが、皆均一に髪を切ってくれとお願いをする。忠司は、父の創業した床屋の二代目だが、散らばった客の髪を箒で掃きながら考える。どうして髪は生え続けるのか。忠司の父は「髪は老廃物でできているんだ」と教えた。人間生きているといらないものも取り込んでしまうらしい。それを髪に送るので、アルミニウムなどが配合された髪の毛はとても丈夫ないらないものだそうだ。また、忠司は、髪の成長速度は異常に速いので、成長の早い細胞を殺す抗がん剤の副作用として髪が抜けるんだとも聞いた。平安時代は女性は髪の長さと美しさがステータスだったのは中学校で習った。忠司は特に髪の綺麗さが女性の魅力だとは思わない人種で、国民的風土にしっくりきていない。髪にも遺伝子情報は載っていると知る。もし忠司に最先端のクローン技術があれば、今掃いたゴミから、客を造り出すこともできる。忠司にその技術はないので常々ゴミ袋にまとめる他はなく、床に転がった先ほどまで人間の一部だった毛束を見つめている。忠司は親の業を次いで約二年、一日に十五人ほど、計約九千人の頭髪を切ってきた。眠っている者や、仕事の愚痴を話す者、じっと鏡を見つめている者、約九千通りの人間の散髪時間を共にした。忠司はそれだけでは何故髪が生えるのかはまだ答えが得られなかったので、こういうときは、と小学校一年のときの担任の先生に言われた、初心を思いだすことをした。
 忠司の父は「散髪は客が普段忘れていることを思い出すきっかけになるようにやれ」と話し、引退した。忠司は初見、頭皮を刺激して記憶力を活性化させる意味程度に捉えた。文言を思い出した忠司は、マッサージ師的な観点以外の解釈があり得るだろうと、来る日も来る日も散髪しては考え始めた。そのうちに忠司は、「人体の一部を切るが、犯罪ではないらしい。失っても生えてくるものだからだろうか」という事実を発見する。医者が手術をして身体を捌くときは、相応の許可を取らなければならない。でも理髪師が髪を切るのは何の問題もない。その紙一重の差が何故なのか、忠司は素早く答えを出すことはできない。ある日客が、「もう、髪が生えないから、来ることも少なくなるなぁ」とレジの前で頭を撫でながらはにかんだ。髪が生えないのは生理現象であり、意志ではどうにもならない髪を制御しようと躍起になる大勢の人間たちは、一体どういうことなのかと考えた。逆に、基礎的な部分は自分ではどうにも決められないのが人間の身体か、と発見した。それに比べて精神的な部分は確かに変えられる。忠司はそれ以上考えられないので、髪は精神と身体の間にある、など思いいたらない。ただ黙々と注文に沿って髪を切り続けた。
 たくさんの人がたくさんの考えを持っているが、思い通りの自分を目指して髪を切る点に関しては共通している。それぞれの清潔さを証明しようと、髪を変化させる。変えられない身体が、変えられる精神よりも人の印象を決めやすいらしい。忠司はなるべく具体的に客の注文を尋ねることにした。老けていく外見に対し、保とうとする自分の理想がある。人間は、髪に限らず他者の印象を操作するべく、複雑な生き方を選択するのだろう。
 外では多くの人が往来する。親の業を引き継いで五年、忠司はそれぞれが、自分の髪型に愛着を持ってほしいと眺める。来た時よりも堂々とした表情で帰って行く客が、往来に混じっていくのを見て、忠司は自分を誇らしく思う。髪は人間の一部であり、加工が容易い。それぞれのナルシズムを助長させるべく、理髪師は鏡の前に立つのである。
 そもそも、精神とか性格は変えられないという人もいる。髪はそんな人にも切ったり巻かれたり染色されたりしていて、変幻自在だな、と忠司は感じるところまできた。
理髪は哲学の入り口であるなぁ。忠司は父に少し近づいただろうと思う。今日も街の一角で、忠司は見ず知らずの人の髪を切る。

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