巣鴨

『巣鴨。巣鴨。お降りの際、足もとにご注意下さい』
「なんでハーって吐く息は暖かくて、フーて吐く息は冷たいの?」
 女子高生。男子中学生。その他。色んな時代を経た大人の産んだ子は二つの本棚に行き着く。
「こっちはお父さんの本棚で、こっちはお母さんの本棚」
 三階の窓から見える駅には制服姿の青少年らがいます。いつの間にか私の制服を違う誰かが着ている。そう母は思っています。父はまだ帰ってきません。遅くまでかかる仕事なのでいつものことですが、私の母は駅を見下ろしていはる日には、不在を顕著に感じて私をさすってきます。部屋はもので混雑しておらず、ものは整理整頓されていて、父と母らしいなと思います。暖色の電灯が木製の机と椅子を照らしていて淡白な印象はありません。クローゼットにはちゃんと二人で飲むための日本酒が入っていますし、ベランダには黄昏れるためのウッドチェアも置いてあります。彼らは無駄なものは生活に引き込まず、生活を愉しむために必要なものはきちんと引き入れていますので、逆に言えば、一番必要なお互いが近くにいない時は必然寂しいという感情が起きてくるようです。それはまだ人生経験が浅い私でもなるほど素敵だなと感じられる程度に幸福な出会いだったろうし、その出会いを見過ごすことなく、二人は努力して結ばれたのだと思います。お互いの不在を前にしたとき、彼彼女は懐古する過去を美しんだり、次会えた時に何をしようかと妄想したりしているのでした。そして、彼彼女は私という存在がなくても完結し、また、未来に開いていて、私はたまに悲しくなるのです。
 両者の出会いは社会人になってかららしいですので、彼彼女にはお互いの知るよしも無い過去があります。ただ、お互いがお互いの過去、人格形成の道のりを知るために、彼彼女は良い家具を持ってきました。それがお互いの本棚です。父の本棚の下の方はラブコメの漫画がぎゅうぎゅうにすし詰めになっています。母の本棚の下の方はピアノの楽譜が入っています。父の本棚の上の方には、明治時代の文豪の文庫本がひしめいています。文学の方面には几帳面な彼のことですから、読んでいない本は少ないでしょう。ぼろぼろになっている宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や川端康成の『掌の小説』なんかは、就職活動の際に持ち歩いていたんだ、と知らされるのは後のことです。母の本棚の上の方には、青春小説も二三入っています。谷崎や川端の名もあります。音楽の新書や精神論まで二十冊ほどありました。母の父の影響だそうです。彼女が最近これらを読んでいることもあまり見ませんが、今の彼女を形成しているのかもしれません。母はよく父の本棚から漫画をこっそりと読んでいます。おそらく父も、母の本棚の新書を読んでいるのでしょう。母は気付いていませんが、並びが変わっているのですよ。
 彼が仕事から帰ってくると、彼女は良く高そうなコンポを操作して音楽を聴き始めます。「レコードがほしいね」と男が言うと、「一万円くらいで買える、って前行ったバーの店主が言ってたよ。いつか買ってね」と女が返事をします。ナンバーは主にクラシックですが、たまに松任谷由実や桑田佳祐も流れます。その他、お酒を片手にしている時もあれば、暗い顔をして私の上でキスをしている時もあります。ヒトが二人で誰からも見られることのない時間を作っていることは、客観的に見ると不思議です。心地よい暗黙の了解などが、二人以外の世界からはおおよそ理解し得ないからでしょうか。そう考えればヒトが二人以上いる際に、簡潔に言葉で表わせられる、不思議じゃない関係性というのは果たして正常なのだろうか、なんていう哲学的なことも考えることもある二人です。ヒトとヒトの関係性は言葉という抽象的なもので表せないほど複雑な要素で構築しながら生きているというのに、友達、上司部下、夫婦などの既存の関係性に収まろうと躍起になって愚痴をこぼすのは如何に不自然なことでしょうか。その点、彼らは自由で、うらやましいです。
 父と母は、いつも楽しそうです。子供としてはやはり寂しいときもありますが、それが一番の誇りです。最後に、総合的に考察すると、彼らの生活は混ざり合っています。本棚も、吐く息も、体温も、考え方も、お互いが残しているお互いから独立した部分も。
子供は親を選べないけれど、親は子供を作れます。その責任に対する気負いは人それぞれで良いのでしょう。そもそも皆自分のことで精一杯なはずです。子供を育てることを、義務にするよりも、自分たちの幸福のために使う手段にすれば良いのではないでしょうか。はなはだ、お漏らしなどの無秩序は鬱陶しいですが、自然状態からすると、秩序のほうが煩わしいときもあるのでは?これは、父母が忘れている事だと思うので、私を契機として思い出しても良いかも。息をしていることに理由はありませんよね。科学的には酸素のお話ですが、それは生きるためなのです。根源的な運動を忘れて物質的な豊かさに溺れると、きっと虚無感にいつか追いつかれちゃいますね。私をきっかけに、騒々しい社会を駆け抜けて落ち合った二人が、世界にわき起こる素朴な感情を思い出して欲しいと思います。人が二人で一人ずつ生きようとしていると、どれだけ仲が良くても諍いは発生します。身体的な意味では二は二ですが、ヒトという集団を作る際には、「人間」という一つになります。お互いを思いやって、生活が混ざり合う時、共感という幸福が身体中に染み渡ると思います。……こんな幼い頃から詭弁ばかり言っていては将来が危ぶまれますね。まぁ、今は純粋に一番、あなたたちの情報を処理しているところなので、楽しそうに話す父と母それぞれの純粋と変ちきの影響を受けているのは致し方ないことでしょう。二人の一つになっているだけですよ。
「どうして、同じヒトなのに争うの?」
 まだ、母ですら見つけていない私ですが、今に分裂を重ねて、彼女に吐き気と食欲不振を引き起こすと思います。楽しみです。

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