秋葉原

『秋葉原、秋葉原。お降りの際は足元にご注意ください』
 私はある男と会う約束をしていたが、飼っていたカメの甲羅を干しているとすっかり夜になってしまっていた。カメは臭いにおいをまき散らしながら幸せそうな顔をしていた。名前は特に付けていない。ある男は、私を宗教家にして、お金を儲けようと企んでいるという。私は特に宗教を使ったお金を得る行為には興味はない。そもそもお金に興味が無い気がする。街には昨今の高度経済成長期に建てられた家電量販店がひしめいている。道では忙しそうに行きかう人が皆、ぼったりとしたスーツを着て煙草を吸い散らかしている。中にはベタリと化粧をした女を連れている男もいる。女と金は成程切っても切れないものだとふと感じる。私は本意を忘れかけていたので、またうろうろするが男は探せど探せどいない。待ち合わせは十五時であったから致し方ない。時間と金は成程切っても切れないものだとふと感じる。成程、資本主義とは全てを価値の地平に追いやる優れものだなと感じる。人と欲望は成程切っても切れないものだとふと感じる。待ち合わせの場所の付近を三度程うろついてみたが会えない。世界は広いなと思う。このまま誰にも会えない気さえしてきた。約束が人と人を結ぶ、逆に考えれば約束しない限り人は偶然以外の理由で出くわさない。このまま文明が進化したら、お互いの位置が分かるような社会もあり得るのだろうか。そんな管理社会は何とも便利だなと、未来を疎った。成程、人と人は簡単に切れるものだな、と安心した。とはいえ現状特にすることもないので男を探した。蔵前橋通りを西進する。新しくできたビルディングが立ち並び人が出たり入ったりしている。笑ったり、真顔だったりしている。何と、無機質な土地の上に、有機的な人間たちが享楽的な生活をしているものだ。いつか私もそちらへ。など考えていると、一人の男が大道芸をしていた。何か透明な玉を三つ手に持ってそれを器用に掌の上で回している。絵的な面白みはないが見物人たちは一挙一動に「おおっ」と言うなどして感心している。くるりくるり地球も回る。玉も回る。あら、確かに、何とも愉快である。私は彼の前の集金用の帽子ではなく、その玉の上に札を置いた。ふと酒を飲んでみようという気分になった。都合よく屋台があったので暖簾をくぐるとどうやらおでんを売っていた。鉢巻を巻いたおじさんが肉を串にさしながら、日本酒を飲みながら顔を赤くしている若い男に相づちしている。
「いや、今から世の中はどんどん軽率になっていくんです。溢れる情報はミニマリストを淘汰し、断捨離なんて言葉がカウンターパートになります。その時人は人でいる事を忘れるんです。ゆっくり生きられなくなって投げたものを追いかける犬みたいになります。日本人は盲目にならない為に盲目になっていく。こんな進化、悲しき哉。ああ、ああ」
 私は何となく青年の悩みに耳を傾けながら、親父に日本酒を熱燗で一合。と言う。青年は続ける。
「そもそも、こんな都会で肉が食えて良いのだろうか。都会に牛はいないのです。牛のように犇めき合ってお金儲けに邁進する現代人しかいないです。予定に忙殺されて生きていく人間なんて死体と一緒です。精神的に向上心のないものは、大馬鹿だと、最近誰かがいっています。全くその通りであると思うのです。こんな進化、侘しい、先祖に顔向けできない也、ああ、うう」
 親身になるわけでもなく、かといって全く別の世界を生きるわけでもなく、公園に生える隣り合った木と木のように青年と空間を共にしてみる。
「西田先生はこう語った。日本文化の特色は、主体から環境へという方向において自己自身を否定し、一つの物として平等に関わろうと。自己が他の物の中に没する、無心とか自然法爾とか言うことが、我々日本人の強い憧憬の境地であると思う。何と核心的なお言葉でしょうか。桜に包まれていた我々が、一体どうして、コンクリートの中での仕事を生きがいに出来るのでしょうか。仕事は生きる上での手段に過ぎません。そうして得たお金をただ身体的な快楽の為に使うなんて、退化も甚だしい!ああ、ああ」
 日本酒をぐっと飲むと喉が熱くなった。のぼせてきたようだ。良い酔いが身体を支配し始めている。私はふむ、カメのように生きたいものだ。のんびりまったり暮らしたいものだ。鉢巻の親父は青年の話を聞いてるような聞いていないような、不規則なリズムでうんうんとうなずいている。肉を串に刺しつづけている。青年は涙をぬぐうと、落ち着いた。
「何だか、一周回ってそれが人間本来である気がしてきました。欲望に流されることが生きている証のような。悟りこそ生からの逃避であるような。うん、うん」
 お酒が美味しい。もう熱燗は一合程飲んでしまった。ゆっくりとした動作でお札を三枚程置いて青年は席を立った。親父はうんうん、とうなずいている。青年は最後同じようにうんうんと頷いていた。私もとりあえずうんうんと頷いてみる。なるほど、人と人は切っても切れないな、と感じた。串に刺された牛はどんな気持ちだろうか。きっと甲羅干しのように、温かな気持ちなのだろうな。うんうん。この親父の動きを私は悟りと呼ぶことにして、無造作に札を三枚置いて出た。探し物はもういいやと思った。

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