伊丹十三映画4Kを観る⑥ 『ミンボーの女』〜ウェルメイドに到達した伊丹流エンターテイメント〜
デビュー作『お葬式』で12億の興行収入を叩き出した伊丹映画でしたが、さらなる意欲作として投じた『タンポポ』が約半分という結果に。『マルサの女』『マルサの女2』の連投で12億台の安定飛行を取り戻しましたが、続く『あげまん』では10億という微妙な結果となりました。
そのときの伊丹監督の思案を推理してみます。
当面の伊丹映画の興収の上限が12億くらいにあることがデータ的に分った。ということは、それを下回ることは、下降線を辿る不安を呼び起こす。次回作では、何としても12億のラインに戻したい。どうも宮本信子の女主人公の反応がすこぶるいい。男女雇用機会均等法という背景もある。もう一度、「◯◯◯の女」で考えてみてはどうか・・・。
もちろん違うかもしれません。先に民事介入暴力というモチーフがあり、それを板倉亮子的な枠組みに当てはめた、という逆の発想だったかもしれない。(暴対法の施行と重なったのは偶然であると監督自身は語っている)
いずれにしても〈女シリーズ〉の3作目という着想は、12億の壁を超えて、伊丹監督作品最高の15.5億を達成したのでした。
しかし、いくら暴対法が施行された直後の公開とは言え、それだけで観客が押し寄せるものでしょうか。そこはやはり〈ヤクザ映画〉であることが見過ごせないように思います。70年代の東映映画に始まり、マンガやアニメのヤンキー物、90年代のVシネマ、北野武の『アウトレイジ』など、いつの時代にもヤクザやそれに類するモチーフは、一定のヒット作を生み続けて来ました。
もちろん、『マルサの女』を楽しんだ観客たちが〈女シリーズ〉の新作に期待を寄せたことも想像に難くありません。
それらに加えて、『ミンボーの女』そのものの娯楽映画としての完成度が、観客の嗅覚に捉えられたのではないでしょうか。
『マルサの女』は、無駄を剃り落としたようなキビキビとした演出・編集により、伊丹映画の基本スタイルを確立したばかりでなく、娯楽映画のあたらしい文法を提示しました。『ミンボーの女』は、さらにそれを極限まで突き詰め、洗練された完成度のように思います。
それには、調査対象にあちこち出向いていくマルサとは逆に、ホテル・ヨーロッパという巨大な拠点を中心に展開する、設定的な安定感も寄与しているかもしれません。映像設計的に統一感が出しやすいという利点もあるでしょう。
拠点がハッキリ決まっていますから、物語自体も「ヤクザを追い出す」というだけの極めてシンプルな内容です。あの『タイタニック』も「船が沈む」という単純なお話で、3時間のスペクタクルを大ヒットさせました。
それはともかく『ミンボーの女』は、伊丹監督の映画作法がひとつの円熟に達した作品であるとは言えると思います。
冒頭からして快調です。
ホテルの豪華なシャンデリアからプールサイドへの流れるようなパン。白いガウン姿でくつろぐ井上まひる。闊歩する全身刺青の3人組。ホテルマンが警告するも反抗するヤクザ。それを巧みな話術で穏便に追い払うまひる。見ていた老人に弁護士の名刺を渡す。
「何かあったら、よろしく」でメインタイトル。
それに続き、伊丹映画では珍しく、オープニングにキャスト表示。映像には、脅し、賭博、女、拳銃といったヤクザの生態。バックの楽曲は、市川崑の『股旅』を模したと思われるパーカッションの乱れ打ち。・・・ここまでの流れは完璧です。
わずかな描写で、井上まひるのキャラクターと設定を、軽妙ややり取りで実に端的に表現しています。これから物語にさんざん登場する「ヤクザ」という存在をざっと説明するようなカットは、海外の観客への配慮もあるのかもしれません。観客を映画の世界に引き込む導入演出としては、文句のない出来栄えでしょう。
さて、公開前から誰しも期待したであろう宮本信子の役柄ですが、成長物語の側面を持っていた板倉亮子とは真逆に、井上まひるは指導者として活躍します。宮本信子をホテルのヤクザ担当にするという設定も考えられますが、やはり弁護士にしたことが本作の成功要因のひとつでしょう。男性社員の指導者であることによって、悪を征伐するヒーローとしての風格が増しています。なにより宮本信子自身が、ゆったりと楽しんで演じている感じがとても爽快です。板倉亮子を思い出す隙を与えない、明確な差別化にもなっています。
私情を挟んで恐縮ですが、ぼく個人は、宮本信子か伊丹映画で演じた10人の人物の中では、井上まひるがいちばん好きです。
それはともかく、伊丹監督と宮本信子が井上まひるというキャラクターを丁寧に準備したことが、『ミンボーの女』のカラーを決定づけたように思います。
そして、それをさらにバックアップするのが、本多俊之の音楽です。テーマ曲は、庶民を脅やかす暴力団をモチーフにしながら、明るくお洒落なジャズになっています。描く対象とは逆の印象の音楽をあてる、いわゆる対位法と言っていいかもしれません。ハウステンボスで撮影されたホテルの雰囲気にもとても合っています。
ストーリー的にはマルサの暴対法版、つまりは、暴力団撃退法を見せていく〈情報映画〉という性質を持ちながら、マルサのように事例を散りばめるかたちではなく、鈴木と若杉の成長物語に比重を置いたところが、一本のレールを安定走行するカチッとした流れを確保し、ラストのカタルシスにも大きく寄与しているように思います。
キャスティング的にも、ほとんど全ての俳優が場面場面に馴染んでいて、綺麗に収まっている感じがします。特に絶妙と思ったのは、明智刑事の渡辺哲、裁判長の矢崎滋、執行官の矢野宣らの〈国家側〉の人たちで、ヤクザ撃退の頼もしい味方という感じが良く出ています。
・・・と、ずいぶんと褒めちぎって来ましたが、人によっては「ヤクザの描写が短絡すぎる」といった意見もあることは承知しています。確かに、やたらと凄む演技をステレオタイプと感じる気持ちは分かります。
しかし、です。ヤクザを他にどう描く方法があるでしょうか。言うなれば、ヤクザという存在そのものが様式です。むしろそうした様式を、ややマンガチックにデフォルメする演出プランにも思えます。なにしろ伊東四朗、中尾彬、小松方正、我王銀次、そしてラストの大親分は、時代劇の悪役でお馴染みの田中明夫大先生ですから(笑)。
最後は、井上まひるのお手柄ではなく、成長したホテルマンたちが協力して勝利を得るエンディングが、鑑賞後の後味を何倍も心地良いものにしています。娯楽映画のいちばん大切なところです。
やはり『ミンボーの女』は、伊丹十三映画のひとつの頂点だと思います。
(了)