見出し画像

故郷がないこと

(2018.02.03の記事の転載です)

生まれ育った故郷がないというのは、長年のコンプレックスで、私の影になりました。

特に子供のうちは、自分の生きたい土地を自分で決めることはできず、その点完全に無力なものです。

愛着のある土地と友人たちは、いつまでも年を取らず、いつまでも変わらず、夢と記憶の中に留まり続け、自分だけが成長して行くので、もうそこへ帰ることが恐ろしい。浦島太郎だということを思い知らされるだけなのだから。

どこへ行ってもいつまでも、ずっと転校生で、どれだけの月日が経っても、よそ者であるという意識は拭えないのです。

故郷があり、生まれ育った家があり、帰る家がある両親を羨ましく思っていました。

祖父母の田舎を訪ねたら、幼い父、幼い母の姿が、その土地や家のうちに「在る」と・・・

「在る」とか「居る」とかしか言いようのない形で、存在して居る。

それが羨ましく、そして、それが自分には与えられなかったことが、恨めしく思ったものです。

特別良い思い入れのない土地に、両親が家を立て、特別良い思い入れのない土地が、自分の実家になった。

転勤族なんて今時いくらでも居るから、と人は言うのですが

どうにも、こうにも、こうした事情は、私に特別な精神状態を与えたようで、どこか宙ぶらりんで地に足がつかない。

お店を始めてから、やたらと「多度津の人ですか?」「香川の人ですか?」と聞かれるのですが、「香川の人らしくない」と思われるようです。

そうした時には、「私はユダヤ人のような者でして・・・」とか「ジプシーなので」と答えを濁しています。

幸か不幸か、お店を始めて、カウンターを作りコーヒーを出すようになってから、香川のことに少しづつ詳しくなりました。

今まで、本当に「地元」のことを知ろうとしてこなかったわけですが、

カウンターとは不思議な場所で、いろいろな情報が集まってくるのです。

店主の私がこんな感じだからか、お客さんとの会話も少し他とは違うようです。

お客さんたちは、私が想像しているよりもずっと、地域に根を張って、あるいは、地域のしがらみや人間関係の中に絡め取られながら、それでも、行き場のない不満や葛藤もあるようです。

どこの人間でもないような私のその精神性も影響して、店内に不思議な空間を生み出したためか、日常や地域のしがらみや世間の喧騒を逃れる休憩場所として、長距離を通ってくださる方もいます。

意外と、地域のしがらみ、ローカルな話、というところから離れた店が少ないのだとか。

そうしてみると、こういう私で、よかったのかな、と思うことがあります。



写真は、フィルムカメラ NikonF5で撮影した猪熊源一郎美術館 荒木経惟 企画展にて

このフィルムカメラは、父の長年の友人である方が譲ってくださいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?