もし私にお金がなかったら。

すごく好きで、たびたび人に話してしまうユダヤ人のエピソードがある。友人の占星術師に教わった。

ユダヤ人は子供の教育にお金と時間をものすごくかける。なぜならば、勉強して身につけた知識は誰にも奪えないと知っているから。お金や土地や、その他の目に見える財産を剥奪されてきた歴史を持つ、ユダヤ人ならではの考え方だという。

たしかにそう思う。失敗して、たとえ無一文になっても、その人自身に知識や見識が身についているために、そこから復活する人は、何人も目にしてきた。

私はたまたま、教育にそれなりのお金をかけてもらえる家に生まれた。大学までの学費は親に出してもらえたし、本は望むだけ買ってもらえた。不公平かもしれないけれど、それは私の才能だ。美人ではないし、スタイルも悪い。そして芸術的センスや優秀な頭脳に恵まれたわけでもない。ただ、少しだけ裕福な家に生まれた。それだけのことである。

一方で、もし私に、お金がなかったら、どうしていただろうと考えてみた。絶望しているかもしれない。けれど、もし前述のユダヤ人の話を聞いたら、恐らく、貧困からの脱出の方法として、勉強をしてみるだろう。でも、勉強に当てられるお金もほとんどないとしたら……。そんなときはどうするだろうか。

まず思いつくのがインターネットだ。端末と環境さえあれば、無料でたくさんの情報にアクセスできる。ただし、二つ欠点がある。端末を購入するのと、ネット環境を整えるのにお金がそれなりにいることと、ネット上ではあまりに情報が膨大すぎて、欲しい優良な情報にアクセスするまでに時間が意外にかかってしまうこと。

インターネットをはじめた13歳の時、検索しても、当たれる情報はとても少なかった。あれから20年、数が増えるのと比例して、無駄な情報は格段に増えた。そういうときに、やっぱり質の良い情報をとるために使えるのは残念ながら有料サービスだったりする。わたしは現在、日経新聞、cakes、COOKPAD、食べログの有料会員である。結局ネットもカネを使わなければ使いこなせないと、最近とみに思う。

出版社に勤めている分際で、私が言うとただの宣伝文句のようになるけれど、やっぱりそう言う時は、本を読むのが勉強の近道になるんじゃないだろうか。けれど本だって決して安くはない。好きな本が満足に買えないとしたら、どうするだろう?

私はきっと、時間を捻出して、図書館に行く。そんなに頭が良くないので、一冊分の本の内容は繰り返し読まないと自分に染み付かない。図書館の行き来の分だけ、買うより時間がかかってしまうのは承知の上だ。新刊は予約で争奪戦らしいけれど、別に新刊だけに有益な情報が載っているわけでもないから、きっと古くて予約のとりやすい本をたくさん読む。

先述したユダヤ人のエピソードに戻すと、ユダヤ家庭には必ず、大きな本棚があるという。本を読むことは、推奨されるというより、もっと自然に、息を吸うように身につけさせられる。勉強というのは、何も机に向かってすることだけじゃない。どんな形であれ、有益な情報を吸収することは、勉強と同義。その方法の一つが、読書だ。小難しい本を読めというわけじゃない。ただ、好きな分野の本をひたすら読んでいくだけでいい。そうすれば、いつの間にか、その人は強くなる。本とは、そういうものだ。

有利になりたければ、情報は、お金で買って勉強すべし。きっとそうすることで、誰にも奪われない財産が身に付く。

本当はそう言いたいけれど、若者と話していると、とにかくお金がないと嘆く人が多い。がんばって働いても、お金をもらえない。残念ながら、日本の人口を占める大きな層が、お金に困っているのは事実だ。そうなってしまったのは、まぎれもなく、政治に原因がある。ただ、原因が大きく、複雑すぎて、すぐに何とかすることができない。そして、今後のこの国の行く末も不安しかない。今たまたまお金に困っていない私だって、いつどうなるかわからない。そして私の息子は、私よりさらに危機的状況にさらされている。

だから、もっとシンプルに、とっつきやすく、そして現実的だと思える方法を考えてみたかった。こうなってしまった時代を生きるためにどうすればいいか、を。

少なくとも私は、お金や土地や、目に見えて、誰かに奪われる可能性のある財産以外を増やしていこうと思う。


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杉田千種
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