大都会の小さな家
都心にマンションを買うのは夫の意向で、貯金が苦手な自分たちが強制的に資産を築けるようにしたい、とのことだった。納得してすぐにうなずいたものの、いざ暮らし始めると驚いた。
狭い家の2人暮らしでは、1人で静かに座って本を読むことすら、叶わないことがあった。今は3人暮らしなのでもっと悲惨。でも、暮らしていくうちにいいことを沢山見つけた。
都会で消耗する、という人もいるけれど、私の場合は都会暮らしでのびのびする一方だ。
狭い家は、街と家の境を曖昧にしてくれる。それは、同じ東京でも、郊外にある実家に住んでいた時にはなかった感覚だ。
地下鉄の駅までは歩いて7〜8分。そこから電車に乗れば30分以内で劇場にも美術館にも博物館にも行ける。水族館と映画館、深夜も営業しているカフェに至っては、徒歩で10分で行かれる近さだ。だから嫌なことがあったら、観たいものがあったら、あるいは何か不便を感じたら、狭い家をすぐに飛び出してどこかに行ける。
おかげで、息子は毎週、美しく巨大な水槽を見に行くことができ、私は子持ちでありながら、深夜に息子を夫に預けて、気軽にレイトショーにでかけられる。
何年か前、古本屋を営む友人が、「自分の本棚のように古本屋と付き合うことが最も快適だ」と教えてくれた。家には、ほんの少しだけ、お気に入りの本を置いて、あとは、欲しい時に買って、またすぐに売ればいい。その少しのお金は、手間賃と考えればいいのだ、と。都会に住むことで可能になるのは、その考え方と近い生き方だ。街全体が、自分のテリトリーになる。欲しい時、欲しいものがある場所に移動すればいい。だから、所有は最小限で済む。
ともかく、私は、都会の狭い家に住んだことで、すごく身軽になった。息子の成長とともに、いったんはこの家を離れなければならないかもしれない――思春期の少年には、できるだけ自室を作ってあげたいものだ――けれど、子育てが終わったとき、私はまた、都会暮らしに戻ってくるだろう。愛すべき、この狭いマンションに。
この記事は投げ銭制で、この先はオマケです。文字通りの<よしなしごと>を書いています。うちの近所の水族館というのは…
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