スギモトの師匠の話
こんばんは、スギモトです。
note毎日投稿119日目、120日目です。
出張が忙しくnoteが投稿できていませんでした。。。
今日はスギモトの師匠の話をします。
まず、大前提としてスギモトには師匠が複数人いるということをお話しておきます。
スギモトは小学2年生から野球をしています。
そのため先輩とつるんでいることが多かったです。
その中で、自分にないものを持っている人を勝手に師匠と仰ぎ、一緒に練習をさせてももらいました。
その中でも今のスギモトに多大な影響を与えてくれた先輩Kさんの話をします。
その先輩の第一印象は最悪でした。
細すぎる眉毛、スギモトにも引けを取らない目つきの悪さ、言葉遣いなどなど、挙げればキリがありません。
しかし、3年生が引退し学年が上がると、その先輩と一緒に練習する機会も増えました。
この頃からこの先輩に対する想いが変わってきました。
私生活や学校生活は褒められたものではありませんでしたが、野球に対する姿勢は素晴らしかったのです。
K先輩はとにかく「元気」が持ち味でした。
うまく行った時とそうでない時も一番声をだしていました。
僕はその様子をみて「バチボコかっこいい!」と思いました。
その日から僕のセールスポイントは「元気」になりました。
おかげさまで元気キャラが定着できました。
そして僕がなぜ、K先輩を未だに信仰しているかというとある言葉をかけてもらったからです。
忘れもしません、2年の冬の和歌山合宿です。
練習が終わり、ヘトヘトになりながら翌日のスポーツドリンクを2キロほど離れたコンビニまで歩いて買いに行っていました。
その時、K先輩にこう言われました。
「スギモト、本能で生きろ。本能でいけ。」とそう告げられました。
この時はコンビニに売っているトレーディングカードゲームを一つだけ買って、キラカードが出れば帰れる遊びをしていました。
そこでスギモトはこの日を境に本能で生きることで、K先輩の引退までずっと1パックのみでレアカードを引き当て続けました。
「本能で生きる」、これは今も常に意識している言葉です。
ライターを目指し活動を始めたのも、僕の本能がそう行けと言っていると感じたからです。
「考えている時間・迷っている時間があれば、その時間でやってみれば良い」と実践できるようになりました。
今のスギモトが行動する上で、間違いなくこの思考がぴったりとハマっています。
K先輩とは、高校卒業後は会えていませんが、ライターとして独立した際には挨拶に伺いたいです。
「ライターとして独立」こそが、本能で生きた結果であり、生意気で未熟な僕の面倒を見てくれたK先輩への恩返しになるのではないでしょうか。
K先輩、本当にありがとうございます。
今日も感謝を忘れず、ライター業を頑張ります。
それでは、また明日。