2022.1.27

昨日、やっと対面での試験期間が終了した。F率6割と言われる憲法や、F率4割弱を毎年叩き出す刑法各論etc.....を乗り切り、疲れきって1日休んでいたわけだが、まだ全て終わった訳では無い。あと1科目法律科目(労働法)のオンラインテスト+レポートをやってから、春休み突入である。

まぁ日記と言えるほどでは無いが、色々思っていることを書きたい。
①試験について②春休み中の活動について

①まずは試験について。私は来年度から刑法ゼミに所属するので、刑法には力を入れて勉強していた。授業も頑張って受けて、教科書や判例の読み込みも怠ったつもりはなかった。そして、今回の試験においては73点をとって単位を取得できた。しかし、決して満足のいく結果では無かった。大体、評価で言うと「C」なのでどちらかと言うと悪い成績である。
回答内容に触れると、まず試験の回答内で参照する判例自体を間違えており、論点がズレていた。そして、こんなことを書いても読者には興味もないことであろうが、学説上の議論に関する説明が圧倒的に足りていなかった。また、自説の展開についても抽象的なことしか書いておらず、なんともボンヤリとした回答になっていた。
端的に言うと「クソ答案」なのであり、これでよく単位が取れたものだと驚くレベルであった。

勉強したつもりになる。これは試験の度に私が陥る悪い癖である。教科書を読み、判例を読み、学説を理解しても、1時間という時間内でそれらを「論理的に」「連結して」書き切ることが出来なければ、何の意味も無い。結果が全てである。少なくとも試験勉強においては、「努力」という言葉では詭弁であり、その実は単なる勘違いである。なぜなら、しっかりと理解出来ている者は、勉強に対する情熱が無くても高得点を叩き出しているからだ。頑張ったという認識を「努力した」と捉えるなら、努力したこと自体は否定できないが、試験勉強の「質」について判断するにあたっては、「努力の存否」は斟酌に値しない基準であると言わざるをえない。そもそも、試験は客観的に評価されて結果が発生するものなので、努力という主観的な認識とは観念として馴染まない。

そして、もう一つ足りなかった点がある。それは、速記力である。法学部の試験は論述試験が多く、基本的には1時間ひたすら脇目も振らずに答案を書き殴ることになる。私は物理的に遅筆なので、1時間に1300字も書けない。しかし、例えば今回の刑法各論の試験の回答で満足のいくものを書こうと思えば1800字は必要なので、全く足りなかった。PCばかり打っていないで、もっと手で書く練習が必要だと思った。


②それから、春休み中の活動についても色々思うところがある。まん延防止措置が発出され、部活動にも制限がかかり始めた。一年生の時は緊急事態宣言で雪山企画は無くなり、やっと今年は雪山に登れる!と意気込んでいた矢先であった。今年の春休みは、2/5-6で八ヶ岳で雪上訓練、それを踏まえて2/19-20でラッセル山行、3/5-8で南アルプス農鳥岳で本格登山、という明確な「プラン」があった。そして、このステップを踏んでいくためのトレーニングのスケジュールまで考えていた。しかし、段階を踏んで実現されるこの計画は、初めの雪上訓練が抜けると途端に瓦解する。実力以上の山には登らないのが鉄則なので、これは仕方がない。
…仕方ないという一言で済ませることが出来るなら世話はない。私は悔しくて仕方がない。コロナ禍における様々な制約については、誰が悪い訳でもないので、誰かを責めることはできない。しかし、このやり場のない怒りや焦燥が収まることは、おそらくない。私にとって、行きたい山に行くことが出来ないという「喪失」は、何をもってしても埋め合わせることなど出来ない。

現実的な話をすると、3/13に知財の検定を受けるのでその勉強をするということになるのだろうが…それはそれである。本当に泣きたい気持ちである。


以上、ほぼ愚痴であり、読者を暗い気分に突き落とすだけのゴミ文書を生成してしまったという自覚はある。また、どうでもいいことについてゴタゴタ考える私の面倒くさい性格が露呈することにもなった。
まぁこういう時期なので多少ネガティブになってしまうことはお許しいただきたい。
心理学で「認知療法」(←悩みの原因となる物事への解釈に変更を加えることによって精神的負担を減らす心理療法のひとつ)を習ったので、それを実践して、山に登れない春休みを少しでも良いものにし、「結果としては充実した春休みだったなぁ」、と言って3年生に進めるよう、私なりに努力をしたい。

今日は疲れたので寝る。

ではまた。

いいなと思ったら応援しよう!