被害者を利用した間接正犯


□間接正犯とは

直接行為者を道具のように利用して犯罪を実現した際に、単独正犯として処罰する。

 (利用者) ⇒ (被利用者) ⇒  危険
     利用行為    実行行為 

※第三者を利用する場合と、被害者を利用する場合が存在する。

□判例の検討

・・・最決平成16年1月20日刑集58巻1号1頁、百選73事件

○事実概要
(ア)ホストクラブのホストであった被告人Xは、・・・被害者Yに対して激しい暴行・脅迫を加えて強い恐怖心を抱かせ・・・被害者を多額の生命保険に加入させたうえで、被害者と偽装結婚して保険金の受取人を自己に変更させるなどした。(イ)その後、Xは当初の計画を変更し、Yに自殺を強いる一方・・・海中転落事故に起因するものであるかのように見せかけて、災害死亡による保険金を取得しようと企てた。(ウ)そこでXは、自分の言いなりになっていたYに対し、犯行日の2日前から暴行・脅迫を交えて事故死に見せかけて自殺するように執拗に迫った。しかし、自殺する気のないYは・・・死亡を装ってXから身を隠そうと考えるに至った。(エ)犯行日の深夜、XはYを車に乗せて本件漁港に行き、Yにドアをロックし、窓を閉め、シートベルトをすることなどを指示したうえで、車ごと海に飛び込むよう命じた。Xは、Yの車から距離を置いてYの行動を監視していたが、Yに命乞いの機会を与えず、もはや実行するほか無いことを示すため、本件現場を離れた。(オ)それから間もなく、被害者は、シートベルトをせず、運転席ドアの窓ガラスを開けるなどしたうで車を運転し、本件漁港の岸壁上から海中に車もろとも転落したが、車が水没する前に、運転席ドアの窓から脱出し、港内に停泊中の漁船に泳いでたどり着き、死を免れた。(カ)なお、当時(1月)の本件現場の海は、岸壁の上端から海面まで約1.9m、水深約3.7m、水温約11度という状況にあり、このような海に車ごと飛び込めば、飛び込んだ際の衝撃で負傷するなどして、車からの脱出に失敗する危険性は高く、また脱出できたとしても、冷水に触れて心臓麻痺を起こしたり、運動機能の低下を来すなどして死亡する危険性は極めて高いものであった

○論点

(1)自殺教唆と殺人行為との境界
→自由な意思によって死を選択することが自殺であり、自死に至らせることが自殺教唆(刑法202条)である。一方、他人の生命を自然の死期に先立って断絶することが殺人行為(同法199条)である。ここで、外形的には自ら死を選択したように見えるが、実際は教唆を超えた暴行・脅迫を伴う強制力によって自死に追い込んだような場合に、殺人と自殺教唆のいずれを適用するべきかが問題となる。

(2)被告人の認識に錯誤があったときの故意の有無
本件事案において、被害者は常日頃、被告人から激しい暴行や脅迫を受けていたが、本件危険行為(岸壁上から車で転落する行為)によって自殺する気持ちは無かった(自らの死を認容していなかった)。この点について被告人の予期に反しており、認識の錯誤が存在したとみることができる。ここで、錯誤の存在により被告人における殺人の故意を阻却することの是非が問題となる。

○第一審及び原審の判決:殺人未遂罪成立

 ・第一審:「被害者は、被告人に命じられた以外の選択肢をとりえない状態にあり、意思決定の自由を欠いていた」
 ・原判決:「意思決定の自由を完全に失っていなくても、その心身の状態等に照らし、被害者が他の行為を選択することが著しく困難であって、自ら死に至る行為を選択することが無理もないといえる程度の暴行・脅迫等が加えられれば、殺人罪が成立する」

→基準を緩和

○最高裁決定

:上告棄却

・論点(1)について
「上記認定事実によれば、・・・本件犯行当時、被害者をして、被告人の命令に応じて車ごと海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態に陥らせていたものということができる。被告人は、以上のような精神状態に陥っていた被害者に対して・・・被害者に命令して車ごと海に転落させた被告人の行為は、殺人罪の実行行為に当たるというべきである。」

・論点(2)について
「被害者には被告人の命令に応じて自殺する気持ちはなかったものであって、この点は被告人の予期したところに反していたが、被害者に対し死亡の現実的危険性の高い行為を強いたこと自体については、被告人において何ら認識に欠けるところはなかったのであるから、上記の点は、被告人につき 殺人罪の故意を否定すべき事情にはならないというべきである。」

○自殺教唆と殺人の境界

→従来は、被害者に意思決定の自由が残されていたかどうかが自殺教唆と殺人の境界であるとされてきた。この点が問題となった事例をいくつか紹介する。

(1)真冬の深夜に、酩酊、かつ被告人ら複数名から暴行を受けた被害者を、脅迫により護岸際まで追い詰めて転落させたうえで、垂木(たるき)で水面を叩いたり突いたりして溺死に至らしめた事案(裁決昭和59年3月27日刑集38巻5号2064頁)において、被告人らは実質的に暴行によって被害者を突き落としており、転落後も間接的に暴行を加えていたことから、殺人罪の成立が認められた

(2)夫が妻の不貞を邪推し、毎日のように詰問し外出や逃避を監視したほか、「死ぬる方法を教えてやる」と言いながら失神するほど首を絞めるなど陰湿な暴行を加え、自殺する旨を記載した書面を作成させた結果、追い詰められた妻が縊死した事案(広島高判昭和29年6月30日高刑集7巻6号944頁)においては、自殺教唆罪の成立に留まった。この判決では、「犯人が威迫によって他人を自殺するに至らしめた場合、自殺の決意が自殺者の自由意志によるときは自殺教唆罪を構成し進んで自殺者の意思決定の自由を阻却する程度の威迫を加えて自殺せしめたときは、もはや自殺関与罪でなく殺人罪を以て論ずべきである」としたものの、被害者の自殺時に被告人がその場にいなかったことから、被害者には自死以外の選択の余地があったとして、殺人罪について消極的な判断がなされたと解される。

(3)降雨のため増水し流れも速くなっている川に、溺死する危険性が大であることを認識しながら、暴行によって受け逆らうことが不可能であった被害者を川に入らせて溺死せしめた事案(浦和地熊谷支判昭和46年1月26日刑月3巻1号39頁)においては、「入水時の状況からみて、当時被害者が死を予見しながらも川に入らざるを得ないような絶対的強制下にあった、つまり行動の自由を失った状態にあったとは考えられない」として、無罪判決が下った。この事案においても、(2)と同様、被告人が、被害者が死に至る行為を選択する瞬間にその場にいなかったことから、消極的な判断がなされたと解される。

⇒(1)と(2)(3)の判断(被害者に自死以外の選択肢が残されていたか否かの判断)を分けたのは、被告人の行為が積極的な殺意に基づいており、被害者の意思を完全に失わせる程度のものであると認めるべき確証があるか否かであるとみられる。これらの判断においては、「被告人が、被害者が死に至る行為を選択する瞬間にその場にいたか否か」ということが斟酌されている。いずれにせよ、被害者が意思決定の自由を奪われているかどうかを判断する基準として、かなり高い程度を要求している。

○本決定の射程

 本件事案において、被害者は生きる意思を完全に奪われるほどの状況下に置かれていたわけでは無く、また、被害者の当該行為の現場に被告人はいなかったが、結果的に「現実的危険性の高い行為」を選択したのであるから、死を容認せずとも、死を覚悟していたといえる。本決定は、被害者をそのような心理状態にまで追い詰めた被告人の行為について、殺人罪の実行行為性を認めたものである。

⇒殺人罪の間接正犯を認定するにあたり、被害者が生きる意思を完全に奪われていることまでは要求せず、被害者が死の危険性を認知しながら危険な行為に及んだ時点で、被告人の間接行為における殺人罪の実行行為性を認定するもの。

○被告人の認識に錯誤があったときの故意の有無についての最高裁の判断
 被告人は、被害者が死を認容していなかったという点において錯誤が存在しているが、生命に対する具体的な危険のある行為を強制しており、殺人罪における実行行為性とそこから予想される死亡結果の認識がある以上、被告人の錯誤はいわゆる「あてはめの錯誤」に過ぎず、故意を否定する原因にはならないと判断。

○私見

自殺教唆と殺人の境界判断について、最高裁において用いられた判断基準を支持する。右に紹介した裁判例(1)~(3)のように、被害者が死に至る行為を選択する瞬間に被告人がその場にいなかったことを斟酌して、被害者に自死以外の選択の余地があったと判断することは、被害者が自死行為に及ぶ前提となる精神的・心理的状態が被告人の行為に起因することを軽視するものであり、支持できない。本件事案において、被害者が自ら死を望まずとも死亡結果に繋がりかねない行為を行ったことは被告人による強制の結果であり、つまり被告人による事実上の支配下にあったこと、また、本件事案における被告人の行為は、積極的な殺意に基づいて行われたものであることから、殺人未遂罪の適用を免れないと考える。(行為支配説に立脚)

□発展

○間接正犯概念が考案された歴史的経緯

 →自ら手を下して犯罪を実現した者のみを正犯とする制限的正犯概念(※1)に立ち、かつ正犯者が構成要件に該当する行為を違法・有責に実行した場合にのみこれに対する教唆犯・従犯の成立を認める、いわゆる共犯の極端従属形態(※2)を採用する見地に立つと、責任能力のない他人を道具として利用して犯罪を実行した者が正犯・教唆犯・従犯のいずれにもあたらず不可罰となるが、この結果は法感情に反するから、間接正犯として処罰する。

※1:正犯と共犯の優先関係

(1)制限的正犯概念:自らの手によって直接構成要件を実現した者だけが正犯であると解する。間接正犯にあたる場合も共犯の範疇に加えようとした。(この意味において、拡張的共犯論)
(2)拡張的正犯概念:犯罪の実現に何らかの条件を与えた者は、すべて構成要件に該当する実行行為を行う者であり、正犯であると解する。

※2:要素従属性

(1)誇張従属形式:正犯に一身的な刑の加重・減軽事由(身分)が存在するには、その有無が共犯にも影響する。
→正犯の「身分」等の要素が共犯の処罰と連帯し、連動するという意味 
▷正犯の処罰条件や加重減軽事由が共犯に影響を及ぼさないとしている現行刑法の態度に矛盾する。

(2)極端従属形式:構成要件該当性・違法性・有責性
(3)制限従属形式:構成要件該当性・違法性
(4)最小従属形式:構成要件該当性
→共犯成立に必要な正犯の要素

 ▷(1)が刑罰構成的・加重的・減軽的・阻却的身分への従属性に関する形式であるのに対して、(2)~(4)は、正犯行為の構成要件該当性・違法性・有責性への従属の有無に関する形式である。これらは「従属性」の意味解釈において異なるため、明確に区別されなければならない。

○間接正犯の類型

(1)責任能力のない者を利用する場合
例)精神病者を欺罔し、蘇生する薬があると誤信させて自殺させる行為
→殺人の間接正犯

(2)被害者または第三者を強制する場合
例)暴力又は精神的圧迫により被害者を自殺させる行為
→殺人の間接正犯

(3)情を知らない者を利用する場合
例)自己の財物だと欺罔して情を知らない者に搬出させる行為
→窃盗の間接正犯

(4)錯誤を利用する場合
例)銃の管理者が射手をして、装填していないと思わせた銃を交付し、その引き金を引くよう唆した結果、銃が暴発し、射手は怪我を負った場合
→傷害の間接正犯

(5)過失を利用する場合
例)医師Aが看護師Bに薬と偽って患者Cに毒薬を投与させようとしたが、Bが注意すれば毒薬に気付くことができた場合
→殺人の間接正犯

※過失行為者には規範的障害があり道具性が欠如することから、間接正犯として認められないという規範的障害説に立脚して、Bを業務上過失致死の正犯、Aを故意の殺人教唆犯とする見解もある(いわゆる「拡張的共犯論」の立場)

▷共犯概念を拡張しようとする拡張的共犯論は、目的無き・身分なき故意ある道具や間接正犯と教唆犯との間の錯誤の問題を解決するために、また、共犯の要素従属性を緩和することにより、間接正犯にあたる場合を共犯中に消化するものである。しかし、過失犯に対する教唆を認めることは論理的な矛盾を含むので、間接正犯の観念を完全に否定することは困難であるといわざるを得ない。

(6)故意ある道具を利用する場合
例)行使の目的があるのにないように誤信させて偽札を作らせた場合
→通貨偽造罪の間接正犯

【今日の議論における評価】
例に挙げたような「目的無き故意ある道具の利用」の場合、現在の多数説によれば間接正犯を認めるのは難しいと考えられている。また、身分無き故意ある道具の利用の場合(たとえば、公務員である夫が、妻をして賄賂を収受させた場合)には、間接正犯の成立が認められないとする見解が支配的である。故意ある幇助道具の利用の場合は、通説上、背後者に優越的な事実的支配が認められるときには間接正犯の成立が認められる。

(7)適法行為を利用する場合
例)警察官を欺罔して無実の他者を逮捕させた場合
→逮捕罪の間接正犯

【今日の議論における評価】
過去の判例として、妊婦から堕胎の嘱託を受けた者が、自ら堕胎手段を施したため堕胎の結果が生じないのに妊婦の身体に異常を来し、医術により胎児を排出しなければ妊婦の生命に危険を及ぼすおそれが生じたのに乗じ、医師をして妊婦の生命に対する緊急避難の必要上やむを得ず胎児を排出するにいたらしめた事案について、医師の正当業務行為を利用した同意堕胎罪の間接正犯を認めたものがある(大判大正10・5・7刑録27輯257頁)。さらに、道具として利用された者が情を知るに至った場合でも、間接正犯の既遂が肯定された事案もある(最決平成9・10・30刑集51巻9号816頁)。しかし、このような場合について、現在の多数説は極めて懐疑的であり、実際上認められるケースはほぼないのではないかと評されている。

□学説の態様

正犯と狭義の共犯とを区別する基準
(1)主観説:正犯者の意思で行動する者を正犯、加担者の意思で行動する者を共犯と解する(因果関係論における条件説に立脚)

(2)客観説:犯罪的結果に対して影響を与えた者を正犯、単に条件を与えたに過ぎない者を共犯とする(因果関係論における原因説に立脚)

→これらは、因果関係論における条件説と原因説のいずれもが妥当性を欠くことから、現在では否定されている。

⇒(2)の内部において間接正犯概念を承認する実質的客観説が一般化。さらにその「実質的な」判断基準をどうすべきかという点をめぐり、以下の内部対立が生じた。

間接正犯の意義
(1)実行行為説(従来の学説)
自らが法益侵害の現実的危険性を有する行為を行っていると評価できるときは、間接正犯としての実行行為を認める見解
⇒実行行為の内実が不明確であるとの批判

(2)行為支配説(現在の支配的見解)
他人の行為を実質的に支配することにより構成要件を実現させた場合に間接正犯を肯定する見解。他人を支配して自己の犯罪を実行するという間接正犯の意思を持って、利用行為により被利用者の行為を一方的に支配利用して犯罪事実の実現に対して強く働きかけたと認められれば、間接正犯としての実行行為性が肯定される。

(3)自律行為不介在説
媒介者が自律的自己決定を行っていないときに背後者を間接正犯とする見解。背後者の行為の性質のみによって判断すると、背後者の行為後に介入した事情を斟酌できず不当な結論を導きかねないとの見地から、利用行為後の要素を加味し、事後判断により決する。自己答責原理、遡及禁止論によって結果からのアプローチを採用する点に特色がある。

⇒この見解の根幹をなす「遡及禁止論」によると、自由かつ意識的に(故意的かつ有責的に)結果惹起に対して向けられた条件のみが結果に対して因果関係を有するのであり、その背後に存在する先行条件は結果に対する原因とはなりえない。しかし、他人の行為を利用して犯罪行為を実現する場合も間接正犯が成立することを考えると、このような主観的側面・心理的因果関係のみが常に共犯を基礎づけるとは限らず、理論付けとして不十分であるとの批判がある。

(4)規範的障害説
媒介者に規範的障害がない場合に限定しつつ、直接正犯とする見解。法秩序が、責任能力がある者に対して違法行為を避け適法行為に出ることを期待していることを前提としている。利用行為後に介入した事情ではなく、被利用者自身がその内的性質として規範意識を具備しているか否かを判断基準としている点において(3)と異なる。

⇒規範的障害の判断基準が不明確であるうえ、正犯と共犯を区別する判断基準として規範的責任論のみを採用するのでは不十分であるとの批判がある。

例)既婚の男性と関係のある女性Aが、この男性Bに毒物を渡したところ、Bはそれを故意によって妻に飲ませ殺害したが、AはBが殺害を行うことについて故意を有していなかった場合。

▷(3)の立場からの反芻
 遡及禁止論・自己答責原理の見地から、Bの殺人行為の前提となったAの幇助行為には、結果に対する故意がないために因果関係が成立しないので、正犯とはなりえず、共犯者としての処罰可能性が残るのみ。
▷(4)の立場からの反芻
 A自身は責任能力(規範的障害)を有しており、Bに対して毒物を渡す行為について思いとどまるべきところ、渡してしまったことにより結果的にBの殺人行為を幇助したといえる。したがって、Aについて直接正犯として処罰する余地がある。



〈参考文献〉
佐伯仁志ほか編『刑法判例百選Ⅰ総論[第8版]』(有斐閣、2020年)148~149頁(園田寿執筆)
西田典之=橋爪隆補訂『刑法総論[第3版]』(弘文堂、2019年)350~352頁
大塚仁『刑法概説(総論)[第4版]』(有斐閣、2008年)158~163、222~229、278~280頁
高橋則夫『刑法総論[第4版]』(成文堂、2018年)434~436頁
立石二六『刑法総論[第4版]』(成文堂、2015年)331~338頁

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