【まいにち短編】#7 お酒のせい、あなたのせい
「いい加減にしなさいよっ!」
バシッ。
後ろの席から突然耳に入ってきた違和感のある大きな声と音に、反射的に体が震えた。
火曜日13:15、ランチタイムのラウンジで感情をむき出しにしている人を見るのは初めてだったので
とてもびっくりしてしまった。
一体何事だろうか。つい、聞き耳を立ててしまう。
火事とか、事故現場とかに群がる野次馬たちのことをバカにできない。
「痛いな…何すんだよ…。まったく…そういうところが可愛げねーんだよ」
「あなたがそうやって嫌な態度ばかりとるからいけないんでしょ!?いつもいつも、ずっと私が我慢して」
「はあ?あんた、我慢したことなんてなかったような気がするんすけど?」
同じことを考えている社員たちがたくさんいるのだろう、つい数秒前と比べて声がよく聞こえる。
しかし…痴話喧嘩だろうか…、恥ずかしげもなくよくもまあ醜態をされせたものだ。
「で?これからどうすんの?俺もうあんたに興味なくなっちゃったわー」
「ほんっと、あんたってサイテーね。こっちからお断りよ」
男性の方はわからないが、女性の方の声は聞き覚えがある。というよりさっきまで叱られていた相手と全く同じだ。
彼女は4つ年上の先輩で、直属の上司だ。
まさかこんな痴話喧嘩を会社で繰り広げるような人だったとは…。
「はー。最後まで、嫌な女だったな。そうやってずっと上から目線で、何が楽しいんですか?」
「はあああ?あんただって自分一人じゃ生きられない、仕事もできない能無しのくせに!」
「…結婚がしたいならさ、もっと素直になった方がいいと思うよ。じゃ、婚活頑張ってください」
「〜〜〜〜〜もう!二度と話しかけてくるんじゃないわよっ!」
やばい。こっちに来る。
とっさに体を逸らしたのが運の尽きだったらしい、彼女とバッチリ目があってしまった。
「………あんた」
「な、なんでしょうか…国見さん…」
「今あんた聞いてたでしょ?」
「ナンノコトデショウカ…」
「ちょっと、今夜顔貸しなさい」
「……………ハイ」
なんでこんなことに………。
*
「カンパーイ!」
「乾杯…、お疲れ様です」
「はーい、お疲れ!〜〜〜〜っくー!生サイコー!」
見事なやけ酒だ。
ドラマとかアニメで見たような光景が自分の目の前で繰り広げられている。
いや、思い返せばお昼の出来事もまさしくそれだった。
「ちょっと。あんたももっと飲みなさいよ。ほら、グイッと」
「あ、はい、飲みます」
「って、ここは、アルハラですよーとかそういうツッコミ入れるところでしょー。あははー」
なんだこれ、面倒くさすぎる。
こんなに美味しくないお酒は初めてだ。非常に面倒くさい。
実は仕事が終わる直前に社内チャットで同期を連行しようとしたが、デートを優先されて失敗した。
絶対に許すまじ。もう、さっさと終わらそう。
「あの…、あの昼の件は…その…」
「あー、あれねー。結局私がいけなかったのよね…。はあ…」
もっと舌を巻いてくると思ったので、驚いた。
「で、でも、彼もひどかったですよ。そんなに気を落とさないでください」
「やっぱ聞き耳立ててたんじゃない。全く。あんたに慰められるとはねー」
あなたが強引に誘ったんですが、というツッコミはさておき弱っている上司の姿は、とても新鮮だった。
「……ただ、幸せになりたいだけなんだけどねー」
仕事をバリバリとこなす彼女。
まだ31歳なのにキャリアを積み、チームリーダーを完璧にこなす彼女。
怒られるのはとても怖いけれど、責任感があって一生懸命で、みんなが彼女のことを慕っている。
そんな彼女の姿は、とても輝いている。
そうだ、みんなただ幸せになりたいだけだ。そのために仕事をして、ご飯を食べて、寝て、また仕事をするのだ。
とても遠い場所で生きていると思っていた彼女にも、こんな人間らしいところもあったとは…。
「まあ、とにかく飲もう!今日は私の奢りだから!」
「ありがとうございます!いただきます!」
*
その後も、彼女のことを話してくれた。
昔から恋愛だけは不器用だったこと、初めての彼氏が突然タトゥーを入れてきたこと、
彼女がいる相手と関係を持ってしまったこと(騙されていたらしい)…。
ただただ相槌を打つだけだったけれども、彼女のプライベートの話は新鮮でそれほど苦ではなかった。
「は〜〜〜、食べた食べた!美味しかった〜〜〜」
居酒屋を出て、繁華街を少し歩いた。夜風がさらさらと吹いていて、ネオンがキラキラと輝いている。
いつもは白くはっきりとした骨格の横顔が、程よくピンク色に染まっていた。
ああ、心地が良い。酔いが回っているのかもしれない。
「あ、あの!」
「ん?どうしたの」
「この後…その……」
彼女の手に、そっと重ねる。
……バッ。手の甲に火花が散った。痛い。
「ちょ、ちょっと!あんたとはそういう関係にならないから!!!」
「あっ、その…ごめんなさい…」
「全く、どいつもこいつもバカにして!!!」
彼女は停まっていたタクシーを走らせて暗闇に消えていってしまった。
ああ…間違えた。お酒のせいだ。
触らぬ神に祟りなし。
触った俺がバカだった。
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