【まいにち短編】#2 金曜夜の十柱戯
男性と二人っきりでボーリングなんて、26年生きてきて初めてだ。
これまで何人かと映画を見たり、美術館に行ったことはあったけれども、
ボーリングという選択肢を挙げてきた人はこの人だけだった。しかも飲んだ後に。
私も彼も、アルコールの匂いがほんのり香っている。
さっき食べた上品な魚たちは、今頃胃の中でワインと混ざってぐちゃぐちゃにされてしまっているだろう。
満腹感と少しの酔いで、眠気が襲ってきている。このまま自分の部屋に直行し、願うことなら一人でゆっくりと眠りたい。
今日私はこの人に抱かれるのだろうか。正直全く気分ではない。
しかし、そこそこお高めな居酒屋をご馳走になってしまったので、せめてもの義理は果たさなければ…。
何故、この状況で彼はボーリングを選んだのだろう。
私とまだ一緒に居たい、というか寝たいというだけならばこんな遠回りせずストレートに言ってくれた方が楽なのに。
ましてやボーリングだなんて、ゆっくり話もできないし、疲れるし、意味がわからない。
「んー、2ゲームでいいよね?」
「えっ…、まあ、はい。」
受付はざわざわとしていた。金曜日の21:30、みんな飲み会の後なのだろう。ここはまだ帰路につきたくない人たちで溢れかえっていた。
きっとこの中で、私が一番帰りたい気持ちが強いんだろうな。
彼が受付を済ませてくれたが、レーンが空くまで15分ほどかかるらしい。
いよいよもって、帰りたくなってきた。この15分はなんて無駄なんだろう。
「俺、ボーリングとかめっちゃ久々かも。紗季ちゃんは?」
「あー、大学の時以来くらいですかねー。社会人になって初めて来た気がします。」
「ははっ。そっか。」
何故、嬉しそうな顔をするのだろうか。そんなことで。
待っている間に靴の交換を済ました。
スーツ姿の男性が紫とか黒とかの専用のシューズを履いているのは、ちょっとだけ笑える。
「はい、これ。ちょっと喉乾いたでしょ?」
「あ、ありがとうございます。」
彼から手渡されたミネラルウォーターは、私が好きな銘柄だった。
15分が経って、私たちの番号が呼ばれた。エレベーターに乗って別の階に向かう。
一階分下って、高校生らしき若い子が5,6人乗り合わせてきた。
あいつまじないわーと言っている口調からは、妬みとか恨みとかそういうものは感じられない。
彼女たちが羨ましい。きっと今、彼女たちは最強だろう。
背負うものもなくて、時間も無限にある気すらしている彼女たち。
もう、手放しで文句を言えるあの頃には戻れないのだ。
エレベーターを降りて、彼と私の名前が書かれたスコアモニターを発見した。
よりにもよって、フルネームじゃなくても…。
個人情報とは、きっとこういうささやかな場所から漏れていくのだろう。
「よっしゃ、じゃ、始めますか。」
「えっと……、お手柔らかにお願いします…?」
「おう!」
彼の手から勢いよく放たれたボールは、すべてのピンをなぎ倒した。
陳腐なメロディーが流れ、モニターの中で花火が散った。
「ちょっと!おて柔らかくないじゃないですか!!」
「気合入れちゃった、ごめんごめん。ほら、次紗季ちゃんの番だよ。」
久々に持った9ポンドのボールはずっしりと重かった。
左手で支えながらゆっくりと前に放つ。
ボールは、よろよろと転がって、6個のピンを倒した。
「意外とやるじゃん」
「いや、そりゃ倒すぐらいはできますよ。」
と言いつつ、ちょっと悔しい。
残り4個のピンは固まった場所にある。よし。
狙いを定めて、さっきより勢いよくボールを投げる。
滑らかにまっすぐとボールは転がっていき、ピンをすべて倒した。
「おー、やるじゃん。俺も負けてらんねーな!」
「いやいや、たまたまですよ。でも、次は負けません。」
気がついたら2ゲームが終わっていた。
合計スコアは彼が195、私が132。結局、彼の圧勝だった。
ボーリング場を出て、足先は駅に向かっているようだ。時間は23:25。
「はー、なんだかんだ疲れたな。」
「これは、明日絶対筋肉痛になるやつですね。」
「でも、いい運動になったなー。久々にいい汗かいたわ。」
微妙な空気が流れている感じは、なんとなくわかる。彼は今、何を考えているのだろう。
そうこうしているうちに、駅に着いた。
「よし、電車あるよな?じゃあ、また。お疲れー。」
「えっ、あ、はい、お疲れ様でした。」
え、終わり?抱きたいとか、そういうのじゃないの?
彼が颯爽と、改札に飲まれていく。
「あ、あの!」
しまった。つい呼び止めてしまった。
「ん?」
「えっと…その…。なんで、ボーリング…だったんですか?」
「楽しかったっしょ?」
「ええ、まあ。」
「ははっ、だと思った。紗季ちゃん、負けず嫌いでしょ?まあまた行こう。気をつけて帰りなよ。」
「は、はい…。また…。ありがとうございました。」
笑った彼の顔を見て、お腹のあたりがカーッと熱くなるような感じがした。
彼は私の何を知っているのだろうか。本当に訳がわからない。
電車が来るまであと5分。いつもの癖でスマホを取り出す。
私は、ボーリングのコツを調べていた。
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