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具志堅さん「不遇の一年半」と朝の代々木公園+1位づくりの成功戦略。

■大阪+オンライン開催!

「激動の時代を勝ち抜く!
1位づくりの成功戦略」

中小企業1位づくりの伝道師・佐藤元相

私がボクシングを始める
きっかけとなったのが
小学生の時、テレビで見た
具志堅用高さんの試合でした。

私が舞台裏を手伝っていた
内藤大助選手のコーナーには、
具志堅さんのジムから出張して
くれていた野木トレーナーが。

なにかと具志堅さんには
ご縁のある私です。

昭和49年春、
沖縄から上京した具志堅さん。

身体が小さすぎて、どうしても
当時の最軽量級フライ級(50.8キロ)
では身体負けしてしまいます。

「もうプロでは通用しないから
沖縄に帰ろうか。」

「でも、世界王者になるために
東京に出てきたんじゃないか。」

プロの壁に挫折しそうになりながらも
朝のロードワークは他の選手に
負けないように続けていたそうです。

その間、一年半。

「諦めは最大の敵」と具志堅さんは
朝の代々木公園を走り続けます

そんな具志堅さんに
48.9キロを上限とする
ジュニア・フライ級新設の知らせ。

最適な階級で「水を得た魚」となった
具志堅さんは昭和51年10月、
見事に世界王者に輝くのです。

以来、故郷沖縄での最後の試合まで
13試合連続防衛の日本記録。

もし、デビュー当時の不遇の一年半
具志堅さんがボクシングを諦めていたら・・

朝の代々木公園を走るのを
やめていたら・・・

大記録も感動の名勝負も生まれず、
そして私もボクシングと出会うことも
なかったわけです。

「諦めたら、
その瞬間にゲームセット。」

勝利の瞬間もビジネス大成功の瞬間も
目前まで迫っているのに諦めてしまうのが
一番もったいないこと。

自分を信じられずに、
実践している戦略の有効性を
信じられずに、諦めてしまう
経営者は実に多いのです。

自動旋盤の鈴木さんも、
仏壇販売の永田さんも、
「明日を信じて」YouTube投稿を続け
最後に成功を手にしたのです。

「諦めたら、
その瞬間にゲームセット。」

40年前に朝の代々木公園を走り続けた
新人・具志堅用高選手のように
「明日を信じて」実践を続ける
気持ちが大切ですね。

では今週後半もその気持ちで
お互い頑張ってまいりましょう。

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