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「香水」の僕は本当にクズなのか

「香水」を初めて聞いたのは個室ビデオ屋だった。どのAVを見ようかとパッケージを吟味しているときにBGMとして「香水」が流れていた。

それは「香水」との出会いとしては、理想的なものだった。

個室ビデオ屋、それは男たちが人生の大一番でもあるのかというレベルのマジ顔で集う場所だ。しかし、やっていることはなんてことはないAVの選定だ。マジ顔で男たちが狭い通路でひしめき合ってAVを選んでいるだけだ。

その瞬間の男たちは主観的には戦場に向かう戦士の勇ましさだが、客観的にはクズだ。「香水」の僕と同じクズだ。

ところで、「香水」の僕は本当にクズなのだろうか。個室ビデオ屋での出会い以降、僕は「香水」に登場する「僕」のことを考えるようになった。

何かを手にした「僕」

「香水」の中で「僕」は「僕」のことをクズだと自認している。そういった描写がされている箇所は大きく2つある。

でも見てよ今の僕を
クズになった僕を
人を傷つけてまた泣かせても
何も感じ取れなくてさ
でも見てよ今の僕を
空っぽの僕を
人に嘘ついて軽蔑されて
涙ひとつもでなくてさ

つまり、「僕」は

・人を傷つける
・人を泣かせる
→そのことに何も思わない

・人に嘘をつく
・人に軽蔑される
→涙もでない(そのことに何も思わない)

という状態から、自分をクズだと認識している。

確かにこのような言動と感情は人格的に誉められたものではないだろう。しかし、彼がまるっきりのクズ、金もなく、友達もおらず、ギャンブルに溺れ、軽犯罪を重ね、いつか身を滅ぼすようなクズかというと、それは違う。

「香水」のサビにこのような歌詞がある。

何もなくても 楽しかった頃に
戻りたいとかは思わないけど

「僕」には「何もなくても楽しかった頃」があったことが語られている。これは裏返せば、「今は何もないわけではない」ということが読み取れる。そう、彼は何かを手にしてはいるのだ。

つまり彼女と付き合っていた頃と今とでは

何もなくても楽しかったクズではない「僕」

何かを手にした人格的クズな「僕」

という変化が起こっている。

何かを手にすることは、客観的には評価されることだ。「僕」は自分のことをクズだとは思うが、もしくは経済的な成功を収めていたり、何かの分野で一定の評価を受けているという状態の可能性が考えられる。

その「僕」が元カノと再会し、戸惑うことになる。元カノの変化、それは「僕」に訪れたそれよりもある意味では残酷なものとなっている。

クズになった「君」

そもそも「香水」は「君」(元カノ)からの連絡から始まる。

夜中にいきなりさ いつ空いてるのってLINE
君とはもう3年くらい会ってないのにどうしたの?

この時の「僕」には戸惑いがある。何といっても3年ぶりの連絡だ。そしてその連絡がいきなりの「いつ空いてるの」。

自分に置き換えて考えてみてほしい。

別れて3年経った相手に、何の脈絡もなく「いつ空いてるの」ってLINEを送るだろうか。はっきり言ってちょっと怖い。雑談を挟んだりとか、スタンプを送ったりとか、やりようがあるのではないだろうか。

「君」はまるで昨日の続きのようなLINEを送ってくる。そして、「僕」は変化した僕自身について考える。「君」は変わっていないんだなと、懐かしさを覚える。

しかし、再会してみて「僕」は驚く。LINEでは変わっていないと思っていた「君」は変化してしまっているのだ。

どうしたの いきなりさ タバコなんかくわえだして
悲しくないよ 悲しくないよ 君が変わっただけだから

「悲しくないよ」とリフレインしてしまうくらいには戸惑っている。

「僕」は戸惑ってはいるが「悲しくないよ」というのは、恐らく本心だろう。それはなぜか、「僕」は変化することで成功を勝ち取ったからである。

ただ、恐らく「君」は変化を嫌う人間だ。それは3年前と変わらない香水に象徴される。

まるで昨日の続きのように送られるLINE、ずっと変わらない香水、また付き合ったとしても「同じことの繰り返し」って振られるであろう「僕」の予感。

変化を嫌う「君」であるが、それゆえか昔は吸わなかった煙草を吸うという変化が起きてしまっている。煙草という変化から想起されるのは、実は「君」こそが客観的にクズになってしまったのではないかという予測だ。

「香水」、それは

・変化したことにより主観的にはクズになったが、客観的には成功者となった「僕」
・変化しなかったことにより主観的には変化はないが、客観的にはクズに近づいている「君」

の物語として見ることができる。

「僕」と「君」の喪われた幸福な時間

「僕」の中で「君」と過ごした時間は幸福な時間だった。

あの頃 僕達はさ なんでもできる気がしてた
2人で海に行っては たくさん写真撮ったね

しかし、幸福な時間だからと言って「僕」はその時間が永遠に続くとは思っていないし、それは喪われたものだと理解している。仮に「君」が取り戻そうとしても、「僕」はそれを拒絶する。

それがサビで繰り返される「別に君を求めてないけど」だ。

君、幸福な時間、何もなくても万能感のあったあの頃の「僕」。これらのものはもう喪われたものだということを自覚している。

ただ、最後に少しだけ喪われてしまったものへの後悔を偲ばせる。繰り返される「別に君を求めてないけど」が最後に「別に君をまた好きになるくらい君は素敵な人だよ」に変化している。

「僕」は、「君」から導き出される人生や日々が自分にとっては非常に魅力的なことはわかっている。でも、「僕」はそれを選択しない。そうしたとしても、君とは上手くいかないこと、僕自身の人生も上手くいかないこともわかっている。

「僕」にできることは、 ドルチェ&ガッバーナの香水からあの頃の「僕」と「君」を思い出すことだけなのだ。美しいあの頃には戻れない「僕」は、主観的にはクズなのかもしれない。クズなのかもしれないが、大人として生きている我々は「僕」をクズだとは簡単には言えないだろう。

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