aikoの「三国駅」について三日三晩語りたい
三国駅は2005年に発売されたaiko17枚目のシングルだ。
三国駅ってなんなん?というとaikoが学生時代によく利用していた駅で、つまりはaikoの中での青春のシンボル的な場所のひとつだ(余談だけど、僕は「三国駅」が発売されたころメールアドレスを「剣吉駅」という地元の駅名に変えたし、関西に初めて一人旅に行ったときは何もない三国駅に降り立った。好きだ! aiko!!)。
aikoの歌詞の多くはあたし(たまに僕)という一人称で語られる。
三国駅もご多分に漏れず、「あたし」を中心に言葉が紡がれている。
しかし、三国駅は他の曲とは違った少し変わった構成になっている。三国駅の中では二人の「あたし」が登場する。
ひとりは学生時代の「あたし」、もうひとりは学生時代を振り返る当時29歳のaikoの「あたし」。この二人の「あたし」がいる。
三国駅は学生時代の「あたし」からはじまる。この「あたし」はとても不安そうだ。
「あたし」は一人では生きていけない。「あなた」がいなくなったら「あたし」はどうなってしまうかわからない。
だから、あなたの指と腕があれば、それだけでいいと思っている。
この「あたし」を、もうひとりの「あたし」、学生時代を通り過ぎた「あたし」は冷ややかな視線で見ている(29歳の「あたし」は太字にする)。
20代の終わりに、高校生くらいのころを振り返ってみたときに、恥ずかしい気持ちになってしまうことはないだろうか。他のことが見えなくなるくらい何かに必死だったり、30も手前になると傷つかないようなことでもずっと落ち込んでしまったり……。
aikoにとって、何もかもが見えなくなるくらいに夢中になり、そのくせ簡単に傷ついてしまうこと、それは恋愛だ。
学生のころの「あたし」は「あなた」しか見えなくて、「あなた」がこの世界のすべてである。だからこそ、失うことを考えるとどうなるかわからないくらいに怖い。
失うことを怖がって執拗に「あなた」を求めるが、三国駅の中で「あなた」は空白として描かれている。aikoの描く歌詞で「三国駅」ほど「あなた」の描写がないものは珍しい。
普段は「あなた」のまつげの先まで見ているaikoが、「三国駅」では「あなた」が泣いているのか笑っているのか、どんな仕草をするのか、何が好きなのか何が嫌いなのか何一つ書かれていない。
「あたし」は必死、ただただひとりで必死なのだ。
そんな「あたし」に対して、今の「あたし」は、ちょっと落ち着いてみたら?と言っている。
それが
である。
ただ「三国駅」は、過去の「あたし」を諭す曲ではない。
むしろ過去の「あたし」が今の「あたし」を、これからの「あたし」を、助けてくれる糧になっていくということが綴られている。
それは二番からはじまる。
このカギカッコの「苦しいときは助けてあげる だから安心しなさい」、誰が誰に言っているのか、aiko業界でも意見は分かれている。これは過去の「あたし」が今の「あたし」に言っているというのが菅谷解釈である(2019年現在)。
ここでは、1番の歌詞で不安で焦っていた「あたし」はいない。時間が経って、そのころの「あたし」は自由に舞って今の「あたし」を助けてくれる存在になっている。
そして、現在の「あたし」はこのように思う。歌詞はこのように続く。
1番にも「それでいい それだけでいい」というフレーズが登場したが、2番とは全く意味合いが違う。
1番の「それでいい それだけでいい」は「あなた」へ依存するための言葉だ。ただ「あなた」がいればいい。でも「あなた」のことは何も見えていない。独りぼっちで必死の「あたし」だ。
2番の「あたし」は独りぼっちじゃない。今の「あたし」に加えて助けてくれる過去の「あたし」がいる。もしも「あなた」がいなくなっても大丈夫。苦しいときは助けてくれる、安心しなさい、と言ってくれる。
「それでいい それだけでいい」は、もう大丈夫、やっていけるという前向きな言葉に変わっている。不安はなくなっていて、そして不安をなくしてくれたのは過去の必死で傷つきやすかった過去の「あたし」だ。
1番
2番
対になっていることをおわかりいただけるだろうか。
同じ言葉なのに全く別のニュアンスに変えている。さすがaikoさんと言わざるを得ない(好きだ、aiko!)。
これが三国駅の最後の歌詞だ。この歌詞でもそうだが、aikoは三国駅の中でいくつかの過去形を使っている。
・毎日が昨日のようだった
・指折り数えた 芽吹いた日々
つまりは、こういった時間が終わってしまったことを表している。
「あたし」はしっかりと「あなた」を見ることができるようになった。
でも、心のどこかではただただ必死だった「あたし」がなくなってしまったことを、その時が終わってしまったことへの寂しさがあるのではないだろうか。
三国駅は曲全体から物悲しさが漂っている。聞いていて寂しい気持ちになる曲だ。なぜaikoは20代の終わりに「三国駅」を作ったのだろうかと思いを巡らせるのも、またオツなものである。