カレーラーメンの侵略、カレーうどんの共存

◆子どものころ、よく親に連れて行かれた近所のショッピングモールのフードコートのメニューに、カレーラーメンがあった。文字通り「カレー味のラーメン」である。子どもにとっての大好物の代名詞である「カレー」と「ラーメン」を合体させるという安直なアイディアは、しかしながら、子どもの目にはとても魅力的なもののように見えた。◆実際、親にねだって、注文して食べた記憶もある。ところが、これが、なんともビミョーな味だったのである。決して不味いわけではない。フードコートで販売しているだけのことはあって、カレーとしても、ラーメンとしても、それなりにそれなりな味ではあった。ただ、両方を組み合わせたことで、なんともどっちつかずな料理となってしまったのである。◆先日、ふと当時のことを思い出し、ある疑問にぶち当たった。「カレーラーメンは今でもビミョーな扱いを受けているのに、同じ麺類であるにもかかわらず、カレーうどんはメジャーな扱いを受けているのだろう」。ここから私はカレーラーメンに対する世間の不当な扱いについて思考し、無意識のうちに生み出される差別意識への言及へと自論を展開するつもりだったのだが、そのうちに、あのビミョーな味のことを思い出し、踏みとどまったのである。◆カレーラーメンとカレーうどんの最大の違いは、カレーのとろみに身を委ねているか否か、ではないかと思う。当時、私が食べたカレーラーメンのスープは、サラサラとしていた。カレーそのものというより、カレー味に仕上げたスープといった具合だ。だが、カレーうどんのスープは、従来のカレーほどではないにしても、カレー特有のとろみを残している。「郷に入っては郷に従え」といわんがばかりに、カレーの土壌にうどんという名の旅人が身を委ねている。◆カレーラーメンにはその素直さがない。カレーの従来の土壌を、自分にとって都合の良いように開発してしまっている。発展途上国を踏み荒らす先進国の如き所業である。しかし、それ故に、カルチャー同士を合わせたときに生じる、甘美な化学反応が成し得なかったのではないか。◆そんなようなことを考えていたら、すっかりカレーのクチになってしまったので、カップヌードルのカレー味を食べた。カップヌードルのカレー味もまた、カレー特有のとろみを残したスープを採用している。具材の傾向を思うと、むしろカレー率の方が高いように思う。そこにヌードルが「ちょいとおジャマしますわよ」と遠慮がちに漬かっている。だが、だからこそ、ヌードルの有り難さが表出する。お互いを尊重し合うことの意味がそこにはある。◆私がカレーラーメンを食べたショッピングモールは、数年前に潰れてしまって、今はもう存在しない。もしかすると、今食べてみたら、また違った感想を抱くことが出来るかもしれないが、それももう叶わない。◆

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