母になった私のことを、決めつけられたくない
妊娠してから、いろんなひとに優しくしてもらった。たとえば、取材相手。何度かお会いしている方ならともかく、一回きりの企画で、言ってしまえば行きずりのような方からも、温かい言葉をたくさんいただいた。「元気な赤ちゃんを産んでくださいね」とか「無理しないでくださいよ」とか、私と私の赤子のことなんて、そのひとには何の関係もないのに、そんな優しい応援やねぎらいをしてもらえることが、とってもうれしかった。だって私が元気な赤ちゃんを産んだって、そのひとには何の得もないんですよ。なのに、みんな、優しい。もちろん、しょっちゅう顔を合わせる面々も、隙あらば私を座らせようとしてくれた。座れるだけで全然違うから、本当にありがたかったです。
もともと雇われている身ではないから、会社で肩身が狭くなる、みたいなことはない。それでも、副編集長としてがっつり関わっている雑誌『走るひと』とか、レギュラーの案件はいくつかあった。どのコミュニティでご一緒しているひとたちも、本当に温かくて、いつも労ってくれた。ぶれずに「子どもを産んでも変わらずに働き続けたい」って思えたのは、そんなひとたちのおかげだと思う。
マタニティマークを付けていると危ない、なんて話も聞くけれど、嫌な思いは一度もしなかった。そもそもラッシュを避けられる生活だったから、という可能性もあるけれど、乗ればいつも誰かしらが席を譲ってくださった気がする。(ちなみに、譲ってくださるのはたいがい同年代の女性でした)
そんなふうにとても恵まれた妊娠生活だったけれど、言われて違和感をおぼえた台詞も結構ある。相手に私をモヤモヤさせようなんて気持ちは微塵もなくて、むしろ私を気遣ってくれる一環だったりもするから、誰も悪くない。だからこそ、そんなことにストレスを感じている自分がめっちゃ神経質で、気むずかしいんだろうなって悲しくなったりもした。
代表格は「子どもが産まれたら可愛くて可愛くて、仕事なんてどうでもよくなるから大丈夫」。全然大丈夫じゃない。子どもが可愛いのと、仕事がしたいのとは別問題で、母親になってもそこを切り離せる私でいたいのに、そんなこと言わんといてよ~~~。
細々したところでは「そんなネイルできなくなるね」「そんな服着られなくなるね」「ライブなんて行けなくなるよ」「産まれたら何にもできなくなるからね」。もちろん、子どもが産まれたら自由な時間は減るし、格好にも制限はできるだろうけど、いまそのスタイルを楽しんでいる私にわざわざ言わなくても! たぶん、いまの自分もまるごと否定されているような気がしたのかな。特に最後の「産まれたら何にもできなくなる」は、先輩ママたちからめちゃくちゃ言われたけど、そんなことはなかったです。派生で「眠れなくなるよ」「死ぬほど大変だよ」とか……そんなネガティブなこと、念を押すように言わなくても。判定きついのわかってるけどそれでも受験頑張ろうとしてるひとに「いや~相当厳しいよ」って言う? 子育てとなると、先輩たちがこぞってネガティブなことを言う風潮はいかがなものでしょうか。
でも、そういう台詞はだいたい、私を心配しているひとが言う。仕事も育児も欲張って心身を壊さないように、優しさで言ってくれていた。そして、そういうひとたちのほとんどが、自分より子どもを優先して、いきいきと子育てしている。子どもを最優先するならば、言われたことは確かに全部そうなんだけど……どういうバランスで、何をどう大切にしながら子育てをしていくかは、それぞれが考えること。結局子どもを優先する部分なんていっぱいあるんだけど、それでも自分以外の誰かに、子どもを産んだ私ができなくなることや、私の変化を決めつけられるのが嫌だったんだと思う。
もし、同じようなことを感じている妊婦さんがいて、これを読んでくれたら、うれしいな。ひとの心配を素直に受け取れない自分が嫌になるかもしれないけれど、あまり落ち込まないで。温かい心遣いを受け取ることと、決めつけられたくない気持ちは、共存していてもいいんじゃないかなと思います。
Photo: 産まれる2週間前、お腹のなかで口を開けて寝ている我が子
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