心象の
「心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんの
いちめんの 諂曲模様
「正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき」(宮沢賢治・春と修羅)
「正午の管楽よりも大きな
黄色のかけらが降るとき」(花もて語れ)
いかりのにがさ また青さ
「四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしり ゆききする」(宮沢賢治・春と修羅)
「春の雲の底の光
雨 轟音がゆききする」(花もて語れ)
「おれはひとりの修羅なのだ
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの」(宮沢賢治・春と修羅)
「雷であり おれ自身である修羅」(花もて語れ)
「けらをまとひおれを見るその農夫」(宮沢賢治・春と修羅)
「おれ自身でもあるその農夫」(花もて語れ)
「ほんたうにおれが見えるのか」(宮沢賢治・春と修羅)
「雷でありおれ自身は
ほんとうにおれが見えているのか」(花もて語れ)
「いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSENいよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ」(宮沢賢治・春と修羅)
「糸杉いよいよ黒く」(花もて語れ)
{交互に(宮沢賢治・春と修羅)と(花もて語れ)より抜粋}
視点を変えて世界を見ると
思わぬ発見をする事があります。
メールなど文字ばかりで相手に伝えようとすると、
その人のフィルターを通じ、その時の感情などを交え
思わぬ解釈をされてしまう事があります。
真意を伝える事は難しい。
言葉の裏に秘められた心理を読み取ることは
うっかりすると安易に見過ごしてしまいます。
文字は人により幾らにもイメージ可能な生き物の様です。
そこからどんな世界を描き出すのか
それは本人次第です。
いつもおめでたい私は
つい楽天的に言葉を捉えてしまいます。
それを不幸だとも思えません
いつも楽天的であれたらいい。
必ず現実となるその世界を
明るく幸せに描けたらいい。
そんな視点から、今は文字を追っているのです。
おめでた過ぎるのでしょうか