二度と創作活動ができなくなった自分たち
・自分は「創作」をやりたかったと思っていたら「自己顕示」がやりたかったでした。
・逆張りやりすぎて創作ができなくなった。逆張りすぎて社会に出ることの大切さを説き始めていた。
・社会に微妙に適応しちゃってその方が幸せな人生指数は高まった。
・noteでこんなこと書く程度に未練は消えない。
noteにいる多くの素人と同様、自分も昔、サブカルチャーの端くれみたいなことをやっていて、学生レベルながら創作活動もどきをやっていた。
中高時代は辛酸をなめ続け、クラスの端っこの端っこ、卒業式後のパーティには誘われない方の人間。そんな地元を離れて時は過ぎ、世は大大学時代。運動部やバンドは無理でも、文化系で一山あてて目立てば「何者かになる」チャンス、もっと言えばみんなに認められる、あわよくばあわよくばモテパコワンチャン。そんなことまで考えていたのだった。もともと物書きや創作は好きで、高校時代にもそんなのですこ~し評価をいただいていた。現代文や小論文がめちゃくちゃ得意で、学校でも上位勢だった。
(余談:大学受験を経験した諸氏ならわかると思うが「現代文が得意」な受験生が良い結果を出せる確率は極めて低い。自分もその例にもれず、第一、第二志望にガッツリ滑り、第三志望の私立に入学した。その時は既にサブカルに片足を突っ込んでいたので早く大学の自由風を浴びたい!となっていたので浪人はしなかった。)
そんなわけで、文章で一旗!サークル入るぞ下北系になるぞ!となるのは当然といえば当然。創作活動をはじめた。
OBに人格否定されたり尖るだけ尖って大荒れすぎて逆にほとんど誰もいじってくれない状態になりながらも、多少自分の成果品が認められはじめ、サークルにも居場所を見出した。そんな頃、東日本大震災が起きた。
昔、東日本大震災後、いわゆるサブカル界隈でも「この未曾有の災害に対して(任意の文化)は何ができるか」的な問いがトレンドだった。直近ではコロナ禍の時もそうだったように。
その問いに真剣に頭を捻る同世代を見て急に全てが馬鹿らしくなった。「お前らに世の中は変えられるわけがない。俺もそうだ。自分たちが気持ち良くなりたいだけなら正直であれ。せめて日雇いバイト代を募金したら多少はいいのではないか。」と言った。その後、自分は批評家になり下がった。
都内で同業者同士で客を融通しあうのがやっとのカルチャーが日本の危機に何かできるわけではないし、せめて働け勉強しろバカというのは「本質」である。
ただ、本質なんだけども、別にそれを看破しただけでは、生産性のない突っ込みにすぎない。
しかしその看破は快感であった。看破を覚えた自分は二度と生産できなくなった。そっちの方が簡単で、インスタントに満たされる。
その後、すっかり底から湧き上がるような熱は出なくなった自分はサークル内の関係性を損ねない程度に、いくつか創作をしつつも、すっかり熱量は冷め、逆張りのごとく社会に出ることの大事さ、ドロップアウトのカッコよさに抗うことの大切さを説き続けた。でも惰性でサブカり散らしてはいた。サブカルチャーの匂いがしない空間ではサブカル側の人間として振る舞おうとしていた。
三回生の春には「自分は中流家庭だから就活を考えなければならない。土にまみれ、地に足をつけた生き方をしなければならない。」とバイトをはじめ、インターンに行き、そこで出会った子とちょっと付き合うもすぐに疎遠になり、就活を終え、そこそこの人生、今に至る。
創作界隈で逆張りしすぎた結果、いつの間にかメインストリーム社会に適応しようとしていた自分がいた。そのおかげでワナビークリエイター地獄にも陥らず、会社でそれなりに働き、人生の予後が最悪にならずに済んだから、結果的にはそこそこ満足している自分がいる。
あの頃熱量が冷めず、あるいは熱を再度呼び起こし、創作に全振りしていたらどうなっただろう。
多分、それはできなかっただろう。自分に眠っていたのは「創作欲」ではなく「自己顕示欲」で、それは別にTwitterみたいに茶々いれて、RTお気に入りされるだけでもそこそこ満たされていたから。それに、身内に褒められるより世間、もっといえば家族に評価された方がそれは満たされるから。
それが分かっただけでも、いい経験だった。そう言い聞かせて、明日も契約書のレビューをする。文字を読み続ける、文書構造を整理する経験は多少、人生で役に立っている。
会社でのコラム執筆なんかにも、たま~~に駆り出される。
絶対こっちのほうが楽だ。間違いない。自分はそこまで要領が悪いわけではない。ただ、noteでこんな文章を執筆するくらいには未練がましいね。終わってるね。