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プレゼンと小論文好きが見たM-1グランプリ2024
プレゼンと小論文が好きな人から見たM-1
最近3年ほど前、私はお笑いに完全にはまりました。そのきっかけは、マヂラブのつり革ネタだったような気がします。その後、自分が好きな仕事のプレゼンテーションの参考にするためにお笑いを見始めたのです。(今考えると、それは遠回りだったかもしれませんが、それでもいいでしょう。)高校時代には小論文が得意科目でした。今は少しでもその才能を活かせる仕事をしているかもしれません。
<ここから本題です>
プレゼンも小論文も、"構造"の整理や"環境"の把握が非常に重要です。
まずは構造について、基本的な4段階の構成があります。
1)問題提起…テーマを提示します。
2)例示…1)について具体的に説明し、読者に寄り添います。
3)分析…1)の原因を分析します。
4)解決…1)の解決策を示します。
場合によっては1)→3)→4)のような順番になることもありますし、1)→2)→4)のような順番になることもありますが、だいたいこんな感じです。
そして、1)の問題提起が読者の興味や共感を引き出せるかどうかで、成功の鍵が握られています。大学受験レベルならば、定型句を使えばいいのですが、だんだんと難しくなってきます。漫才は特に、決まった型の中で型を守ったり破ったりするという臨機応変さが求められます。そして何よりも、読者を納得させるよりも笑わせることの方が難しいのです。これはまさにプレゼンテーションの最高難易度と言えるでしょう。
そして環境の把握についてですが、オーディエンスの関心事や、どのような言葉で相手の関心を引き付けるか、笑いを取り入れるべきか、真面目にやるべきかなど、空気を読むことが必要です。(これはゲームに例えるとわかりやすいかもしれません。"メタゲーム"と呼ばれるものです。例えば、キャラクターAは強いですが、キャラクターBには弱いのです。つまり、Bがいる相手にはBを使えば勝てるのですが、他のキャラクターには弱くなります。一方、キャラクターCはAには3割の勝率があるけれど、他のキャラクター、特にBには強いのです...これを考慮して、A,B,Cのどれを使うことが勝つために有利なのか、ということです。)お笑いもまさにその場の空気に対する環境把握がキーであり、それができれば勝つことができます。お笑いは人間そのものであり、コミュニケーションそのものなので、奥深くて面白いのです。これまでの芸人たちも無意識的に、もしくは内面でこのような構造化や環境把握を行っていたのかもしれません。しかし、個人のYouTubeの台頭やお笑い文化の進展、そして言語化や書籍化のブームの流れにより、一気にメタニュアンスが進歩した印象を受けます。そこに高比良くるまという分析家が登場し、"面白い"という言葉を分析することが野暮ではなくなったところです。
特にM-1を中心とした"競技漫才"シーンは、非常に尖っており、把握すべき情報も加速度的に増えています。
そのため、私のような仕事に疲れている人々はどうなるかと言いますと、疲れます!お笑いが好きなのに、疲れてしまうのです。
いまや競技漫才はフィギュアスケートの世界に足を踏み入れたような感覚ですが、まだまだ解読できていない世界のパッケージングができていないため、お笑いは単なる安い娯楽という位置づけが残ってしまっています。そのため、ヤフーコメントも荒れるのかもしれません。
「お笑い文化」の環境と処理能力の限界
M-1の周辺情報が多すぎて、それを全部接種しないとお笑いに万全に望めないような気がしてしまっています。
M-1を楽しむためにたくさん本読んだりM-1の過去大会見たりしたら、どんどん「全部見ないと100%楽しめないんじゃないか?」という今恐怖心すら覚えてきてヤバかったです。仕事も忙しかったのに。
最後に「参考文献」も列挙したけど、本当にこれくらい読まないとある程度M-1を楽しめないんじゃないかと思ってしまうくらいの圧が、今のお笑いにはあると思いませんか?
おかげで前提知識を備えられるレベルの本は読んでいるので、そこらの野良犬やヤフコメイヌ、XXXよりはまともなこと言えてると思うけど、仕事でもないのに何やっているんだろうという気持ちがないではないです。
お笑いでお笑いをセルフパロディして、お笑いを届けるのがお笑いになるような時代において、いかにお笑いを教養ではなく娯楽にしていくかの時代なのかもしれません。(後述ですが、令和ロマンのネタはそれを考えているような気がしました。)
それはファン側の課題でもあって、お笑いのこと以外がわからなくなったら、いったん趣味でも休憩した方がいいです。特に、仕事ではないのであれば。俺は情事の際に真空ジェシカの「S〇X、スタート!」が頭をよぎって何もできなくなりました。マジです。
M-1 2024 個別の芸人について
ネタが面白いとか構成とか細かい技術はわからないけど、M-1という空間においてどういう立場となったか、どういうメッセージを受け取ったかを述べています。
以降、ディクテーションベースなので言葉が相当くだけます。
1.令和ロマン
一番手になった瞬間に、この人が勝つだろうなと思いました。
ネタもすごく良かったし、こたけ正義感のユーチューブで見てたけど「小学校あるある」「苗字」なんて今時大喜利でもやらないようなテーマで、あんなに強い笑いを取るというのが恐ろしい。このお笑いでお笑いで縮小再生産してパロディする時代にはエピックでした。2本目の異世界転生も、別に子供でも老人でもわかるはわかる笑いでしたし。
競技で鎬を削るステージをほどほどに見下ろして、一歩先二歩先の世界を見ているように見えました。
苗字など、誰でもわかるもので、珍味ではなく日常品で究極のメニューを作り上げる。去年の転校生のテーマもそうだったし、一昨年のドラえもんもそうでしたね。お笑いハイになりながら日常の電源もつけているコントロール能力こそが天才の天才たるゆえん。
これは推測だけど、もはや令和ロマンさんの中では"お笑いでお笑いのセルフパロディ"っていう内輪の笑い、オタクの笑い文化自体が、今後のお笑い業界のために良くないと思ってて、目先を超えたお笑いを取ろうとしているのではないでしょうか。これ以上それが進行するとオタクしか伝わらない文化になってしまうから。それを少しでも裾野を広げようと思って。笑いをやっているような気がします。
だとしたら、「内輪の閉鎖的な笑いを再び大衆に返す」という世界の変革をしようとしていて、内輪の閉鎖的な笑いを志向し続けた松本人志史観の変革を見出すのは大げさでしょうか。
その場合に何がすごいかって、仮にそうだとしても、松っちゃんが審査員の世界とそうではない世界の両方で優勝しているから文句のつけようがない。
プレイヤー自身が世界を分析すること、批評性を高めていくことでどうなるんですかね?凄いことでもあるし、行き詰まりでもあるように思えます。
2.ヤーレンズ
めちゃくちゃ面白かったけど、なぜ伸びなかったのでしょうかね。順番と言っちゃ簡単ですが。
令和ロマンが今年も環境のトップを走ってしまい、令和ロマンと戦うではなく、令和ロマンの世界から抜け出すがテーマの大会になってしまった以上、主人公(令和ロマン)とタッグを組んだ戦友ポジションでは勝てない、つらい世界だったと思います。とすれば、ヤレロマという言葉自体が敗因かもしれない。
(※ヤーレンズの出井さんもインタビューで令和ロマンを悟空、自分をクリリンに例えていましたね。)
やってることは去年と一緒で、それがとんでもない面白いんだけど。楢原さんもそうだし出井さんもすごいうるさいのも面白いのですが。最初の「審査員頑張って」も面白かったんですが。
ここから令和ロマンの世界から飛び出せるかどうかに軸が絞られる大会が確定したと思います。
3.真空ジェシカ
よかったです。
「今1番求められてるのは子育て支援だろお前がちゃんと否定しろこういう時は」っていうのが特によかったです。
何がそんなに良かったんだろう。嫁も良かったと言ってました。
川北さんが今年結婚して、少しずつ、実はちゃんとした人なんじゃないかというのが、言語化こそされないけれども広がってきていて、そこで子育て支援というワードを突っ込んできたのが、あ、この人真面目かもなって。特にお笑いをあまりお笑いとして観ていない人にも面白く届くような言葉があって刺さったのかもしれません。
商店街のネタ自体はもうずっと前、結構前からやってるやつだけど。やっと世界が追いついたぐらいなのでしょうか。基本的に真空ジェシカの笑いは、めちゃくちゃ鋭いんだけど、悪く言えばツイッター的型はめみたいなところがある中で、そこに人間性を?さりげなく挟んでたのが評価の秘訣だったかもしれません。人間味の無い人の人間味は可愛いので。
アンジェラアキはインターネットなので面白かったしバズるだろうな~。くらいで見てました。
4.マユリカ
面白いですけどね。東京のお笑いが続いて、ここから西の笑いがどう巻き返して行くかっていうのを見たかったのですが。
同窓会のネタ面白かったですよね。本人の人間性とそこはかとない気持ち悪さ。あるあるの世界観でアナーキーなあだ名が出てくるのが気持ち悪くてよかったのに。漫才の基本がもし立ち話というならば、あの2人でしか成立しない立ち話をしていてとても良かったのにな。
もしかしたら漫才の基本が立ち話っていう前提自体が少しずつ侵食されているような気がします。世界システムに。インターネットに。
5.ダイタク
美しすぎて点が伸びなかったらしいですが、美しいというのは基本褒め言葉ではなくて、うまいけど、なんかそんな魅力は無いみたいなことなんでしょうかね。
M-1グランプリが若手の大会である以上、必要な「若さ」の要素、衝動とか衝撃あるいは発想の時代を世界をもう超えてしまって、大人の世界に入っちゃってるんだろうなこの二人は。
昔立川談志がテツandトモに言った「お前らこんなとこに来るやつじゃないよ。もういいよ。誉めてんだぜ?」をやっちゃったのでしょうか?
令和ロマンという世界ががっちり構築されちゃった以上。不安定の衝動で超えていくしかないんだけども、その不安定さがもう無いんでしょうね。すごすぎて。
美しさや大人の余裕が認められる世界 THE SECONDがあるのも救いではあるけど、敗因でもあるのでしょうね…セカンドでいいでしょう的なのも、言語化するわけはないけど、皆無ではないはず。
6.ジョックロック
インターネットでバズりそうですね。あと2人ともすごい良い人そうですね。最初にぺこぱとか、ももを見た時の気分。
これが褒め言葉になるのかは怪しいけど、実はちゃんと実力があるのに過小評価されちゃいそうな。ワードも実はすごいのに。
実は年上の人の方が緊張してたっぽかったのも可愛げはありましたけどね。
令和ロマンが、若き王者が見せつけられちゃった以上、評価に立ちそびれた感じ。強いけど別に今日には合っていないからまた今度って感じ…つらいです。
7.バッテリィズ
すごかったです。今年じゃなかったらミルクボーイぐらいヤバかったです。
「俺バカだから難しいこと分かんねぇけどよう、から本質をつく」っていうあるあるネタを、本物の人間でやるとここまで面白くなったのが強さ。
運転免許のやつとかユーチューブその後見たけど、めっちゃよかったです。
言い方悪いけど、お笑い解像度低い人にも伝わるお笑いだしね。高学歴に対してなんかこうおバカなお笑いが、なんかこうアホが伝わっててあの高卒の親世代とか上司とかも喜ぶし、かつお笑いのうまさも伝わるという万人受けを勝ち取った二人でいした。難しくない?レベル高すぎないもう。
この辺りがいわゆる会場がうねったの瞬間でしたね。
「令和ロマンの世界にあらがった瞬間の煌めき」は令和ロマン好きでも、なんか嬉しいですね。
8.ママタルト
せり上がり超面白かったです。上がれ、上がれってやつ。あれは腹抱えて笑いました。
これはバッテリィズが空気を破壊した後で、どうやっても…の時間ではありました。
東京漫才はもう令和ロマン→ヤーレンズ→真空で飽和していたからあんなにデカくてもよっぽどのことがないと入る余地がない日はありますよね。
どんないい物でもおなか一杯なら口には入らないのです。
ひわちゃんのツッコミ、うるせえってなっちゃうんですね。
東京のお笑いファンは当たり前のように馴染んでいたけど、まだテレビとの距離感があったっていうことが確認できたのかもしれないです。まーごめ。あとは売れてひわちゃんのツッコミが馴染むのを待つだけですね。
9.エバース
オモシロ!お笑いのレベル難易度高すぎるなと思いました。
お年寄りわかんないですよね。でも、それがもうテレビに出てもよいくらいになってて、面白くなってるっていうのが既にお笑いの世界がスピードアップしすぎたっていうか、ガチ勢が増えすぎたっていうか、ガチ勢とそのカジュアル勢の差が開きすぎたのを感じます。
カジュアル勢はもうお笑いの世界にはいないということがよくわかりました。どこにいるのだろう。
ある程度意味不明な世界観は共感されるのが前提なんだなって言うか、ショッピングモール1階だの3階だのっていうのが、ある程度理解しようとしてくれるのが前提にあるのが競技漫才の前提で、そこから笑いを取っていく、高速ハイレベル漫才の象徴みたいな超競技漫才でした。
10.トム・ブラウン
去年の準決勝がなかったらもっと爆発したのでしょうな。
審査員の大吉先生も準決勝のロンリーチャップリンを見ている前提で喋っているのが、M-1という文化の高レベル化の象徴を見ました。
なんでだろう?みちおちゃんがホストに飲まされそうになって、ひどい目にあってるのが、ちょっと辛かったのかな?だから剛力彩芽の方がやっぱり楽しみだったのかな?みちおは可愛げがありますからね。
ロンリーチャップリンは、布川が歌ってましたね。
終わった後の打ち上げでマヂラブ野田さんが二人に「地下芸人の道を最初に切り開いたのはトムブラウン」と言っていたのが、救済。本当にそうですよね。
余談
どんなに面白くてもクオリティが高くても環境で全部ぶっ壊されるのマジで理不尽だけど、それが魅力でもあるしやめられないと客ながら思いました。逆に理不尽に勝てる時もあるし、麻雀みたいですね。実はそれは、自由業じゃないサラリーマンの仕事も一緒だと思います。ラッキーパンチもあれば理不尽もあるのが人生。人生の縮図を4分で見せてくれる漫才文化、最高。
最近過去を知るために昔のM-1を見返したら、まだその競技漫才という概念がない時代の漫才で、今からしたら信じられないくらい牧歌的でした。会場の空気のピリツキもヤバいってよく言われるけど、M-1なのに寄席みたいなイオンの営業みたいな漫才している人が結構いて、そっちの方が最近お笑い好きになった人間には衝撃でした。
ポケモンで例えれば、最初は100レベミュウツーとかカメックスとかで対戦している感じですかね。そこから努力値とか個体値の分析が始まって、どんどん最適化に近づいている。
でもまだまだ環境が無限に変わり続けるのと、そろそろ対戦以外の要素も楽しめるようになってきてるのじゃない?ってなっているのが現代お笑い。
これからも言語化を尊ばれる世界でありますよう、言葉好きの俺は祈っています。
参考文献
お笑い素人だけどこれくらいの本は読んだし舞台の経験も無くはないので、野良犬やヤフコメ民よりはマシな感想が吐けると思っています。
1)言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか、ナイツ塙宣之
2)答え合わせ、NONSTYLE石田明
3)漫才過剰考察、令和ロマン髙比良くるま
4)M-1グランプリ大全2001-2024
5)ユリイカ2024年12月号 特集*お笑いと批評
6)だが、情熱はある シナリオブック、今井太郎
7)偽りなきコントの世界、かもめんたる岩﨑う大
8)M-1はじめました、谷良一
9)東京芸人水脈史 東京吉本芸人との28年、山田ナビスコ
10)正直個性論、水野しず
11)親切人間論、水野しず
12)ADHD2.0 特性をパワーに変える科学的な方法、エドワード・M・ハロウェル,ジョン・J・レイティ
最後3冊ほど、関係なさそうな本もあるけど、関係があるんです。
水野しずさん、個人的には笑いの天才だと思っていて、お笑いが捨て置いてきた女の世界の強い笑いがここに眠っている。それは男にも、通用しうるものであると思っている。
ADHD2.0は…お笑いというか芸事とADHDの親和性を考えるにあたって必要だと思っているし、自分も当事者なので何かを活かせるかと思っただけ。ADHDの人にただ読んでほしいだけの本。
真空ジェシカが優勝していたらお笑いがインテリ世界のものになって高度芸能になって終わってたと思う松本人志史観のアディショナルインパクトになっちゃうから、バッテリィズでは世界は変えられない。やはり令和ロマンが補完するしかない。
セカイ系笑い。令和ロマンを世界とする是非を決めるのは、テレビの前のあなたたちではない。
最早我々にはボールも投票権もない!投票すら芸人の世界に取り込まれているから!