大事なことほど小さな声で語られる。
以前、美輪明宏さんがテレビで仰っていたことで、とても好きな考え方があります。
家族などのどんなに親しい人にも、見せる自分はmax60%まで。今の人は、他人に自分の100%をわかってほしいと思い過ぎているのではないでしょうか。
細かいニュアンスは違うかもしれませんが要旨はこんな感じのことでした。
ネットの世界を覗いていると特に、大きな声で重要そうな世の中の流れや考え方を発信したり、あるいはパーソナルな大事な出来事を発信したりする場面に遭遇することがあります。
そんなとき、いつもではないのですが、何となく居心地の悪さを感じることがあります。
(良い悪いではなく、私自身の好みの問題です)
その条件はたぶん、文章が纏う雰囲気が前述の「60%」を超えているときなのです。
「100%わかって!」って感じが出ちゃうと、受け手は居心地が悪いことがあるんじゃないかな。
さらに、その居心地の悪さには2つの要素があると思います。
①自分が思う大事なことが多くの人に伝わるはず・伝わるべき、と思っている熱量 (≒暑苦しさ)
②大事な人との間・または自分自身の中にだけ取っておいた方が素敵な秘密を開けっぴろげにしてしまうことによる、興醒めしたような感じ
なのでその裏返しで、多くの人に向けて大事なことを語りそうな状態にあると思ったときは、
大事なことなんて多くの人には伝わるものではないという謙虚さがあるか
大事なことは大事な人との間にだけとっておこうとする奥ゆかしさがあるか
そんなことを、ちょっと立ち止まって考えたいと思いました。
大事なことは、小さい声でささやくくらいでちょうどいいのかもしれない。
また、他人が発信したものを受け取るときも、それが多くの人が受け取れるようになっていればいるほど「そんなに大事なことではない」という前提に立つのがいいと思います。
そうなると、私がここで書いていることってそんなに大事じゃないってことになります。笑
でも不特定多数が見ることのできる文章なんて、そんなものじゃないですかね。
大事なことほど、身の回りの大事なほんの少しの人との関係の中で生まれる。
そして本当に大事なことは、おいしいチョコレートがゆっくり溶けるみたいに、自分の中にだけとっておいて味わう。
そういうものだと思います。
最後は季節感を意識して、バレンタインデーとかけてみました。笑