挫折の先に
「社会に挫折した」
福祉の事業所に一緒に通っている人がポツリと言った。
私は、メンタルを患い、働けなくなって、生活保護を受けている。
自分のコンディションや病気とうまく付き合いながら、保護を抜けて暮らせるようになりたいが、その道はいまだ見えない。
メンタル疾患や、ADHDの特性、性的マイノリティ。
折り重なった生きづらさの中で、もがき続けたけれど、これ以上どうしたらいいのか分からない。
だから「社会」そのものに挫折したというのは、すごくわかる感覚だった。
でもね、とその人は言った。
挫折したから見えることもある、と。
挫折した人じゃないと分からない気持ちがあって、
辛さを知っているからこそ、誰かに優しくできたりすると。
確かにそうだ。
外で調子を崩しやすくなり、ヘルプマークを付けるようになってから、
ヘルプマークを付けている人がこれまでより目に入るようになった。
困っている人を助けられるようになりたいと、強く思うようにもなった。
経済的に失敗したら、人生は終わりだくらいに思っていた。
働ける体があるのなら、心に鞭打ってでも、何とかやっていかなければならない。
限界を超えていたのに無視して、自分を痛めつけて、結果、壊してしまった。
働けなくなっても、お金が底をつきても、生活保護を受けても、人生は全く終わらなかった。
制度のありがたみや、人の優しさを知った。
人は何かを失うことはある。
失ったとしても、何かを失った人生がまた始まる。
失った人生を生きる。
私は書くことが好きだから、ただ書く。
生きて、書く。
そうしたら、こうやって誰かの所に届く。
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