言いたいことが話せないから、書く。
突然ですが、私は話をするのが苦手です。
会話をしていて何かを言いたい時に言葉が出てきません。何なら感情が湧き上がるのも遅い。
ただ雲のような、漠然とした何かが胸の中にできるだけ。
そうして、家に帰ってお風呂に入っている時、あるいはベットで天井を見ながらぼんやりしている時なんかに、言葉や感情が遅れてやってくるのです。
言われた言葉の意味を反芻してから、初めて、腹が立ったり、悲しくなったり。気持ちを言葉に乗せるのが遅いのです。
会話はライブと同じで、その瞬間発した言葉だということに価値や面白みがあります。
1日経ってから、「昨日言ってたアレだけどさ」なんて蒸し返しても、もう鮮度を失ってしまって、言葉がぼんやりとして味気ない。
有吉弘行さんやマツコ・デラックスさんのように、的確な言葉を卓球みたいに打ち合える人が羨ましかった。
自分に自信がありませんでした。
ところで、私にはずっと気になっている友人が二人います。
才能豊かで、勇気があって、思いやり深く、人の痛みに寄り添える。
最高に素敵な人なのですが、自分にだけ優しくない。
二人の良い所を指摘すると、「そんなことない」「自分はダメな人間だ」と否定します。
二人が自分を不当に扱うような言葉を発した時、私は怒りを覚えて、「違う。だって……」と言うのですが、「だって」の後の言葉がとっさに出てきません。
何かを言えたなら、きっと友人の心が軽くなるって分かっているのに、その何かが口から出てこないのです。何と言えば良かったのか反芻して、数日後にようやく腑に落ちる言葉が見つかっても、もう話の鮮度は落ちてしまっています。
悔しくて仕方がありませんでした。
そんな時、本屋さんで出会った本があります。
この本で村上春樹さんは、あまりに頭の回転の早い人は小説家には向かないと書かれています。
小説は言いたいことを半年くらいかけて形作る、非常にスローで効率の悪いものである。頭の良すぎる人は、伝えたいことを迅速かつ明確に伝えられるから、わざわざ物語に置き換える必要がないというのです。
そういえば、マツコ・デラックスさんは、元々雑誌の編集者でした。
文章を書くプロとして活躍されながら、テレビに出るようになって、じっくりと言葉を練って文章を書くことよりも、ライブ感のある会話をすることに面白さを感じたそうです。
人前に出てしゃべる仕事をする方は、大衆の代弁者として、多くの人の共感を得ます。
小説家は、誰も考えつかないような発想、豊かな想像力で物語を生み出します。
どちらの頭が良いかという単純な比較はできないのでは。脳のどういう部分をうまく使えるかの違いじゃないだろうか。
だとしたら、うまく話せない人はじっくり言葉を綴ればいい。
その言葉で、誰かの力になれるかもしれない。
私はとっさに言えないから、その分反芻するようにして深く物事を考えてきた。
ゆっくりと粘土を捏ねるみたいに、あるいは油絵を塗り重ねるように。
たくさん積もった気持ちをじっくりと育てて、形にすればいい。
そんなわけでNOTEのアカウントを作りました。
これから書く言葉が、あなたの心に届きますように。