生活保護から抜け出したいけれど
うつと統合失調症で働けなくなり、生活保護を受け始めてからちょうど一年が過ぎた。
冗談抜きで、保護の制度がなかったら、路上でのたれ死んでいただろう。
三食食べて、着る服があって、雨風を凌いで眠れる場所があるから、安心して治療に専念できる。
福祉の制度や、お世話になっている役所の方には感謝しかない。
それは当然の前提として、同時に生活保護から抜け出したいとも思っている。
社会からお世話になっている分、次は自分が少しでも社会の役に立ちたい。
働けば、誰かの役にたつ。だから働きたい。
それに、正直に言って、少しはゆとりのある暮らしを送りたい。
保護費から考えると、家賃や光熱費、スマホ代などを抜いて、1日に使えるのは1500円くらい。
最低限の生活は賄えるが、例えば美容院に行くお金や、洋服を買うお金、友達との交際費などはなかなか捻出できない。
人にはなかなか言えない
昔よく行っていたバーからも足が遠のいてしまった。
「仕事は何をされていますか?」
初対面の人からよく聞かれる、その質問が怖い。
生活保護をもらっているんですって答えられない。
「お前にはバーに来る資格はない」と思われるのではと不安になる。
人のお世話になっている立場で、遊んではいけないのではないかという思考も出てくる。
働けない事情があって、生活保護を受けている人が、生活費の範囲内で遊ぶことは、当然の権利で、何ら悪いことじゃないと考える。
でも、自分が実際に受給者という立場になってみると、どこか気後れしてしまう。
できる仕事が少ない
まだまだ調子が悪い日が多くて、出口のないトンネルにずっといる気持ちだ。
体調を見ながらコツコツと仕事はしている。
ただフルタイムで働けるのはいつになるのだろう。
自分の特性上、出勤をして、何時から何時まで働くというスタイルは向いていない。じっと座っているのが苦手なので、オフィスワーク全般が向いていない。集中力が持続しないし、気が散りやすいから、ミスも多い。
ひどく不器用だし、目に入っていないものは頭の中から消去されるので、工場勤務などの単純作業もできない。
「書店員」という、自分に合っている仕事をようやく見つけたけれど、コロナ禍という特殊な時勢の中、会社組織で働くことに限界を覚えて、やめた。唯一やれると思っていた仕事に挫折した。
フリーの書店員として、書店を作る人の応援をする仕事を始めたけれど、精神病になってしまった。
自分にできることが何かもうさっぱりわからない。
保護を受けることは「失敗」なのか
生活保護のことを話した時に
「いつからでも人生やり直せるよ」と言われて、違和感を持った。
たしかに、働けなくなって、保護を受けるようになったのは、どん底に近い経験かもしれない。
でも、私は自分の選択に後悔したことはない。失敗したとも思っていない。
一時的にお世話になっている立場だけど、誰にだって保護を受ける可能性はある。私もまた保護を抜けて、税金を払えるようになったら、誰かのお世話を間接的にすることになる。
犯罪をした人が更生するのは「やり直し」だと思うのだが、生活保護を受けることは、やり直さなければならない失敗なのだろうか。
お金を持っていても、明日どうなるかなんてわからない。人のお世話になっていても、明日には人をお世話するかもしれない。だから失敗なんてなくて、ただ人生をグラフにした時に、波長の底の方にいるだけだと思うのだ。
それでも人生を諦めない
経済力があれば、人を助けやすい。
本当は人間1人くらい養えるくらいの経済力が欲しい。
助けてもらってばかりじゃなく、自分も人を助けたい。
現実は、生活保護受給者、39歳、LGBT、パートナーはなく、精神疾患もあり。
最近では発達障害も疑われ始めた。
いろんな設定を盛りすぎたキャラみたいだ。
でも私は人生を諦めたくはない。
精神疾患や、年齢などいろんな条件があるせいで、できないと自分を制限したくはない。
今日がダメな日でも、明日は、明後日はいい日になるはず。
そういう希望を持って生きていきたい。