わたしには母語がないのかもしれない
きっと誰も、産まれた時の記憶なんてない。
ただ、物心ついた頃の記憶は鮮明だ。私の場合、周りの全てが日本語<英語だった。努力で英語の天才になった勤勉な母と、人柄と忍耐力で大企業の役員になったコミュ力おばけな父。二人の共通点はバイリンガルなこと。
今思えば稀有な家庭かもしれないテレビで流れるニュースは二か国語放送に設定されていて、リモコンの音声切替ボタンを操作しようとすると、いつも止められていた。今思えば教育方針のひとつだったのかもしれない。気がついたらヒアリング能力が少しだ