人を外から連れてくることにおいて必要なことは何か?
一定の広さを持つ民間人が所有する、地域にとって貴重な林を少しでも保護する「保存樹林」という制度が、かつて勤めていた自治体にはあります。
その保存樹林の担当だった時、
「市が指定した保存樹林からウチの庭に枝が落ちてくる、持ち主に指導しろ」
という苦情の電話がかかってきました。
上司と共に保存樹林の持ち主のところに伺うと、
「ウチは元々ここに住んでいて、周辺が勝手に開発された」「開発されたところに住んでいる連中が、ウチの林に勝手に犬の散歩に入ってきて、フンも始末せず帰っていく、彼らの方こそ市がなんとかしてほしい」
と返されてしまいました。
この状況を目の当たりにして感じたのは、
「人の誘致は行っても、新旧住民の融和については何もやってこなかったのだな」
ということ。
その後、若手の発表の機会があるとのことだったので、この話を取り上げてみました。そこではまあまあ偉い人もいたと記憶していますが、結果、この指摘に際しては今に至るまで特に何も行われていないのではないかと思います。(余談ですが、発表の後に偉い方の中のひとりからお見合いの話が来ました。お付き合いしていた人がいたのでお断りしましたσ(^~^))
以来、この課題はずっと心の内に持っていて、例えば、remo(NPO法人 記録と表現とメディアのための組織)の下記のような活動は、根本的な融合には至らないまでも、新旧住民の接点を生み出す契機としてはとてもいいのでないかという気がしています。
(なお、水戸市でも水戸芸術館で細々と8mmフィルムの収集・再生・上映が行われているのですが、アートの文脈に寄ってしまったためか、課題に寄り添った取り組みにはなっていないようにも感じます。)
さて、コンビニひとつとっても、外国人労働者がいなければ回らなくなってしまったこの地域社会。
同じ日本人同士においても積極的に融和が行われていたわけでもなく、自治体によっては未だに合併前のアイデンティティを強固に持ち一体感が阻まれているところも見受けられ、融和の知見は蓄積されていません。
移住の文脈においても、田舎への移住への失敗談は検索すればいくらでも読むことができます。おそらくある程度うまくやっているところでは、いきなり地元の人と混ぜるよりも、先行する移住者のコミュニティを媒介しているように見えます。
人は簡単に習慣や考え方を変えることはできないことを考えれば、少なくとも「郷に入っては郷に従え」(入っていく地域に合わせろ)は、単純には適用できないと思います。
今後技能実習制度に代わり導入される育成就労制度により、
外国人の移住が間違いなく進むことになると思うし、それは(運用上の問題はあるかもしれませんが)必要な制度だと考えますが、ヨソ者を受け入れることについての感覚が鈍感なままで、果たして大丈夫なのかなと、思わずにはいられません。さて、何から着手すべきなんでしょうか?(まだ思いつかない。)