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呪詛:1/2成人式の日に書いた文章で死ぬほど説教された話

成人式の話題がTLでも街中でも聞こえてくる。

私は持病の都合で成人式には行っていないが、そういえば「1/2成人式」というものはやったな、ということを思い出した。

これが人生で一二を争うレベルで嫌なイベントだった。

1/2成人式とは、小学校の4年生くらい、10歳になった時に、今の自分の思いを残しておこう、とかそんな理由で、いろいろな文章を書かされるやつだ。
将来の夢とか、成人した自分に向けたメッセージとか、そういう感じのキラキラしたラインナップのテーマに混ざって、「自分のお父さんについて」みたいなテーマがあった。(確かお父さんがいない場合は例外的にお母さんのことを書いても良かったが、基本的にはお父さんにしろという指示だった)

正直に書いた。


「お父さんは、私が生まれる前からずっと同じ資格試験に挑戦していて、まだ受かっていません。お父さんもちゃんと、誰かに勉強しなさいって言われるか、そんな資格試験なんて諦めて家事をしてくれたらいいのにって思います。でもどうせ私と喋ると、自分の試験の結果を棚に上げて怒ってくるから、やっぱりそのままでいいです。これからも受からない試験を言い訳にして、私たちの面倒を見ることをお母さんに押し付けたらいいと思います。私たちのことがそんなに好きじゃないことを隠す言い訳に、勉強をしていると言い張るのは便利だと思うからです」


ヤバい文章である。


母と先生にバチクソ怒られた。



今にして思えばこれが父親に対する不満の初めての言語化だったと思う。


幼少期からうっすらと、自分には友達がほぼいないと思っていた。
自分を慕ってくれる人はたくさんいたし、私のことを友達だ、親友だ、あるいは恋人だと思っている人はいて、しかしその中で私が本当に親友だと思える人は一人だけだった。
その親友以外の人たちはみんな私の言うことを理解できないし、そもそも私の言うことに耳を傾けようとも思っていなかった。
ただ何をやっても怒らなかった私のことを「優しい」と言い、甘えていた。
私はそんな言葉の通じない人間たちに怒る気すら湧かなかったのだった。猫が言うことを聞いてくれなくても仕方ないので、同じように言語の通じない人間は言うことを聞いてくれないんだな、と思った。

……のだが、これを誰に吐露しても、「そんなことない、あなたは優しくて友達がたくさんいるいい子」という一点張りで、私の孤独感は否定された。
話が噛み合わず、ただ私に甘えてくるだけの自我のない人間も、逆に自我ばかりで他人のことを考えられない人間も、大人たちから見たらそれは一括りに「友達」であるらしい。
振り返れば大人たちにとっても、誰にでも好かれる私の存在は都合が良かったのだろうとも思う。ママ友にも交友関係があり、好き嫌いの感情がある。私がいるだけで、好きなママ友と喋るついでに子をトラブルなく遊ばせておける。便利存在である。

だから私は、子供も大人も含めて、大抵の人間のことが嫌いだったと思う。そういう幼少期だった。ただ、うっすらと人間のことを別種族だと思いながら、それの表明の仕方がわからずにいた。「嫌い」と言えばその感情は「優しくない」ためになかったことにさせられるので、表明するどころか感情に気付くことすらできなかったと思われる。
孤独感と溝はそのままに、優しいふりだけ上手くなった。
ノリでオーディションに行ったらなぜか受かってしまった子役養成所での経験も私のことをよくわからなくさせた。めちゃくちゃ演技が上手くなった。
外から見たら完璧な「誰にでも優しい、おっとりした子」のできあがりである。




そんな私が10歳になり、何か自分の意見を文章に綴ることを強要され、そこで初めて自分に向き合うことになった。

例文を見ながら、この文章は「父親がおこなっていること」+「それへの感想」という構成でできるものだということを理解する。

おこなっていることを俯瞰し、それへの感想を考える。
文章には苦手意識があったが(あんまり言語が得意ではないという認識があった。今もある)、まぁ構造を見て真似れば書ける文だなと思った。



……

何も書くことがない。
父親に優しくしてもらった思い出も、なんなら世話をしてもらった思い出もない。
よくわからない自己満の旅行に連れて行かれたことはあるが、毎回同じ場所で飽き飽きしていた記憶しかなく、何も覚えていない(ASD特有の拘り的な傾向なのだろうなと今なら理解できるが、その偏りから生じる子へのストレスをなくすため、止めるために親は2人居るのではないのだろうか?)。

強いていえば、思い出せるのは、自転車に乗る練習をしていた時に「なんでこんな簡単なことができないんだ」と怒鳴られ、あまりのキレ具合に近隣の人が様子を見にきた記憶。
運動音痴、喘息持ち、体育はほとんど見学みたいな私が一朝一夕で自転車など乗れるはずがない、冷静に考えて。
ただ、「自転車には当然すぐ乗れるようになるべきであって、こんな簡単なことができない私は良くないのだな」と思った。



それで、父親のやってきたことの話に戻る。

なさすぎてあまりにも困ったから、普段父親が何をしているか、という方面からアプローチすることにした。
多くの例文には、休日に遊んでもらって楽しかったとか、仕事がかっこいいとか、普段の振る舞いとか、心に響いた言葉とか、そういうことが書かれていた。
何か一つくらいはあるでしょ、的なことを言われ、頑張って思い出す。

休みの日は部屋に閉じこもって資格の勉強をやっている。
その部屋には「入るな」と言われており、何をやっているかは知らない。
家はいつもピリピリしており、「勉強の邪魔になるから」といろんなことを禁止される生活が、生まれてからずっと「当たり前」だった。




以下は過去の自慢話であるので適宜飛ばしてほしい。
私はその年の初め頃、中学受験のために塾に入学した。これは小6の時に受験が行われるから、3年程度で合否が決まる。その一発しかない。
生きてれば無限にチャンスがあるものとないものがあり、私はないものに向けて勉強していた。

当時の私は全く宿題を出さずにいて、しかしなぜか塾の定期テスト総合ランキング上位常連だったというのもある。別に受けるつもりもないなんかすごい頭のいい女子校対策の特待クラスみたいなのに入れられた。塾の先生が私を指差し、「全員がこいつみたいに頭が良かったらこっちだって宿題なんて出そうと思わない」と、宿題を出さないクラスの人々に説教をしていた記憶もある。私だけが宿題を出さないことをなぜか認められていた。

そういう背景があって、勉強できればいろんなものがなぜか許されて、勉強できなければ努力が必要であると思っていたのと、個人的には勉強しないと点が取れない人のことを当時は意味がわからないなと思っていたし、勉強しても点が取れない人のことはさらに意味がわからないと思っていた。

しかも10回もそのテストを受けた上で点が取れてないらしい。
その上、私の喘息みたいに病気があって勉強が無理とか、そういうわけでもないらしい。

シンプルに謎すぎた。
また、簡単なことができないのはよくない、と思った。そう教わっていたからである。

大人になった今でこそ、特性の差とか、認知機能の差とか、向き不向きとかそういうもので多少理解はできるようになってきているが、10歳の子供の世界なんて狭いものである。その狭い世界の中心人物である私が「これ」なのだから、他の全てを当然この物差しで測るようになる。偏りのありすぎる物差しである。

だから父親のことを、あの幼少期からたくさんこちらに関わってきた、「友達」と同じタイプの生命体なんだな、という認識をした。
話が噛み合わず、ただ私に甘えてくるだけの自我のない人間。逆に自我ばかりで他人のことを考えられない人間。
そういう人間を親として尊敬しろと言われても無理である。特に当時の幼い私には。(今も無理だが)

さて、こんな私が他人に対して「優し」くいられたのはなぜか?
答えは単純明快、沈黙していたからである。
というか、沈黙以外の方法を教わっていなかった。
黙ってニコニコして時が過ぎ去るのを待つ、というのが親の教育方針だった。

しかしこの文章に沈黙は許されない。
そこでありのままを正直に書いた。
ありのままというか、現況と、それについて考えたこと、つまり考察である。
何かの理由がなければ、試験に落ち続けることなんかあるはずないと思っていたので、理由を頑張って考えた。理由をでっちあげようと思ったら意外と書けるものだなと思った記憶がある。状況証拠とそこから導き出される行動の解釈。私はこれは結構上手いなと思った。読書感想文は苦手だったけど。


その結果がバチクソ怒られである。


意味わからんって思った。
そもそも私に怒る前に父親に怒ってほしかった。だって私の方が成績良いじゃん。というか、事実しか書いてないじゃん。
親をそんなふうに悪く言うなとか、なんでこんな時にそんな文章を書くんだ直接言えとか、いろいろ言われた。
でも直接言うことは我慢させられていたし、でも先生はちゃんと書けっていうし、じゃあこれしかなかったのでは。

正直、今思えば、まず最初に「あなたはそう考えたんだね」とか、そういう肯定のワンクッションが欲しかったと思う。
というか、子供を怒る前にうちの家庭環境についての話し合いがあって然るべきだったのでは? こんな考察が自然に出てくる程度には、親は自分に興味がないと思っていたわけであるから、愛着形成に失敗していると見ていい。なんらかのケアが必要だったと思う。

また、不平等性を強く感じた、というのも嫌なポイントである。少なくとも塾では、成績の良い人がいろいろ免除され、成績の悪い人は頑張らなければならない、という世界観だったはずなのに、親というだけで全てをひっくり返すことができるらしい。
ずるいというより、一貫性がなさすぎて信用ならないな、と思った。

今まで「優しかった」私が急にこういう文章を書いたものだから、めちゃくちゃ驚かれたし、今までにないくらい怒られた。
私が書いたようなことをあえて言わないのが「優しさ」らしいということも意味がわからなかった。普通に考えたら思い至ることを、なんで誰も言ってくれなかったんだろうと思った。

私に対しては否定するのに他の人を否定してはいけないのが優しさなら、私の存在そのものが優しくないのだな、と当時の私は理解した。
私が無害な存在になるためには、存在を消すしかないらしい。

私の自己否定の発端はここにあるような気がする。




いや、今ならさすがに学校の提出物にこんな文章を書いてはいけないということくらいはわかる。
でも今やれと言われても同じ文章を書いていたかもしれない。もしくは先生に泣きついて相談するか、全く架空の話を書くか、未提出で誤魔化すか。
というか、今はもうちょっと多様性が尊重される教育になっていると願いたい。


未だに考える。優しさとは何だろうって。

ただ本質から目を背けて沈黙していることを優しさというなら、優しさはその人を停滞させることに他ならないと思う。
私はもう少し実用的になりたいと思っている。
それが優しさと正反対だという評価を受けても。

あるいは、こういう「優しくない」私を認めてくれる他者の存在を求めているのではないかと思った。
それを確かめるために強い言葉を使いながら発信しているのかもしれない。


これがモラハラ生誕の秘密である。
当然理由や過去があったからと言って、モラハラが許されていいわけではないが、モラハラで悩んでいる人は生育環境を見直すと新たな発見があるかもしれない。

モラハラしなくても自己肯定できるようになるといいね。頑張ります(現在進行形)。


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