信州松本、春まだ遠く
拝啓
お元気ですか?
手紙を書くような、日記をつけるような、そんな気持ちで書き始めてみる。東京から信州松本に引っ越して、10日あまりが経つ。毎日家の掃除や生活のあれこれを片付けていたら、あっという間に時間が過ぎる。今朝はカーテンを開けると一面の銀世界。季節外れの雪となった。ようやく芽吹いた道端の水仙も、雪の布団をかぶって今日は眠っている。まだまだ朝晩はストーブが手放せない、信州の春はまだ遠い。
故郷北海道から十八歳で上京し、十数年間を東京で過ごし、今、信州松本の地でこうして生活している。考えてみると信州松本は北海道のように厳しい冬と美しい四季があり、独自の文化もありつつ首都圏にアクセスが良い、私にとっては二つの故郷を折衷したような土地だ。元々何も縁のない場所ではあったが、それにしてはとても居心地が良い。東京から移住する人も多いと聞くが、確かに都市生活と田舎暮らしの良いとこ取りのような、とても不思議な魅力のある街だと思う。
北アルプスが近く、街のどこからでも山が見える。タイトルの写真は家のベランダから、隣の田んぼ越しの山並みを撮ったもの。春の柔らかい夕焼けと青い稜線のシルエットが美しい。日の出が遅く、日の入りが早く感じるが、それは山が太陽を遮ってしまうためだという。街の標高はだいたい600m、参考までに東京駅は標高4mほどらしい。(そんな山を登るんだもの、特急あずさも揺れるわけだ!)そのため、うちの石油ストーブは不完全燃焼を起こさないような高地仕様になっている。移住するまで、そんなものがあることすら知らなかった。日中は太陽が近く、自転車を漕ぐ手の甲をジリジリと焼いていく。盆地ということもあり朝晩の気温差が激しいが、それは果実が色づくのには欠かせない自然条件となる。厳しい自然が豊かな恵みをもたらし、里山は色彩を増していく。
また、信州は水の豊かな土地でもある。北アルプスからの雪解け水が土地を潤す。
信州蕎麦や安曇野のわさびは有名だけれど、水道水さえも美味しく感じる。市内には湧き水がたくさんあり、ポリタンクを持ってわざわざ水を汲みに来る人も見かけるほどだ。松本城の城下町として栄えた市街地には用水路があり、ニジマスが泳いでいて驚いた!「ニジマス・捕らないでください」の立て看板も一緒にあって、少し笑える。
そんな未知の土地での暮らしを、私は心底楽しんでいる。もともと好奇心旺盛な性格ではあるけれど、音楽を生業にして旅をして来たということも、少しは関係あるかもしれない。「大きな決断をしたね」と周りには言われるけれど、自分にとっては割と自然なことだったように思う。ギターがあればそこが私の仕事場だし、愛する人がいればそこが私の家になる。ふわふわと流されて来た私の人生も、今は束の間風が止み、そっと地面に着地した小さな種のように安心している。ぬくぬくと土の温もりを感じながら、一体どんな音楽が芽吹くのか。ここでの生活の様子とともに、感じたことを綴っていけたらと思う。気長にお付き合い頂ければ幸いです。
寺岡歩美