カエルのうたが聞こえてくるよ
雨音と一緒に聴くピアノの音が好き。梅雨に入るといつもGonzales のピアノ曲が聴きたくなる。
アコースティックギターが乾いた木のボディーを響かせた、カラッと晴れた音ならば、ピアノの琴線をハンマーが叩く音は、さながら屋根を叩く雨音だ。ペダルを踏んだ音の滲み具合が水彩画のように美しく、やっぱりピアノは雨の日に似合うと思う。
東京の音はとても大きい。人の話し声や電車のガタゴト、車の音。広告動画や流行りの音楽は街に溢れ、よくわからないモーター音は路地裏ビルの室外機音だったのだろうか。そうした街の音も気分によっては心地よいが、どうだろう?大きな音のはずなのに音の印象はそれほど強くない。あまりにも情報量が多いと、全てがカオスになり、むしろ無意識に聞かないように、身体が精神を守ろうと本能が働くようだ。音に麻痺していると言ってもいいかもしれない。
電車移動の時間や夜寝る前の時間など、音楽はイヤホンかヘッドホンをして聴くことが多かった。それは自分だけのシェルター。耳を塞げない代わりの束の間のエスケープだったと思う。東京を離れた今、音楽を聴くのは大抵部屋の中かカーステレオである。ヘッドホンで自分の世界に入って聴き込むのも悪くないけれど、そこにある空間が一緒に震える感じがして、生活と一緒に音楽がある方が私は好きだ。
最近は音楽をゆっくり聴く時間ができたと同時に、普段の生活でも耳をよく使うようになった。今住んでいる家は隣が田んぼで車通りがほぼない。とても静か。私はそんな静寂に耳を澄ますのが好きだ。それは音楽でいうとブレイク。休符がないとリズムも生まれてこないのだ。
自然の音は街の音に比べるととても小さく、囁くよう。こちらも耳を傾けないと聞こえてこない。今日はもちろん雨音が聞こえるが、晴れた日に自転車に乗ると風の音が聞こえ、木の葉がサラサラと擦れる音がする。元気になって来た虫たちの声と鳥のさえずりがその合間を埋め、川や用水路の水が流れる音は心まで洗ってくれるようだ。そして日がくれるとカエルの大合唱が聞こえる。
「カエルのうたが〜、聞こえてくるよ〜」という童謡もあるが、田んぼの近くに住んだ経験がなかった私は、その真の意味を今まで知らなかった。カエルはかなりの実力派シンガーである。きっちり主張があるので、こればっかりは耳を澄まさなくても聞こえてくる。私の歌を聞け!と言わんばかりの歌唱力は圧倒的で、声量も大きいし、声色や音程、リズムも多彩。きっと個体の大きさや種類によって違うのだろう。秋の鈴虫と違って涼しげな声とは言えないが、可愛いあの娘をデートに誘うその歌は、どんよりした梅雨をちょっとコミカルに、楽しげに感じさせてくれて愛おしい。
今夜は雨も上がりそうだ。月明かりのスポットライトに照らされた田んぼのステージで、一体どんな歌を聞かせてくれるのか、楽しみにしたい。
寺岡歩美