やさしさでは、食ってけないのか。
自分はなぜこの職業を選んだのか。
力が欲しかったから。肩書が欲しかったから。
強くないと人にやさしくできないと思ったから。
弱い人は切り捨てられる、攻撃される、奪われる、と思ったから。
弱いことは自業自得だと思ったから。
力がないといいことができないと思ったから。
その感覚は、正常ではあるのかもしれない。
それが今の社会の仕組みなのかもしれない。
おおざっぱで、超感覚的やけど。
でも、その仕組みにハマりに行く必要性についてもう少し考えたい。
ハマりに行くことに、天邪鬼を発揮してもいいか。一生保留状態。
いつまで保留にするのか私は。
ハマりに行くことは、死ぬよりもつまらなくて、つらくて、すっきりしなくて、自分の一番価値があると思う部分を捨てることかもしれない。
youtubeである音楽を聴いた。
その人の指が、その人が想像する音のために、そう動くのが物凄く尊くて、あったかい。
言葉にするのがもったいないくらい。
やさしい。フェルトを優しくぽんっておすみたいな。
なんであんなあったかい音がでるのか。
そんな風に演奏する人が世に出てなくても沢山いるんやなって。有名にならない動画の中の人が、優しいあったかい音を一人で出して、傍で少しの人が聴いて。そこだけでその瞬間がすごく幸せ。youtubeで自分ももらった。
そうゆう空間とか、自分の感情の動きが、日常にあるのがいいと思った。
自分のこの心の動きを素直に誰かに伝えて、そういう交換ができればいいのになと思った。
自分の生活にはない。これから自分が向かおうとしている将来にもない。
かつてはあったかもしれない。
なぜ働くのか。お金を稼ぐのか。
周りにそれを期待されるのか。
やるからには結果が求められるのはなぜ。
その期待や人の意向に負ける私が嫌だ。
一生エンジョイ勢でいたい。
いさせてくれない。
いさせてくれないっていう自分が嫌だ。
そうじゃなくて、私はこういるって、いさせてもらえなくてもいられる自分ならいいのに。
残念ながらそうじゃない。
働くのが嫌いなわけじゃない。むしろ好き。
でも自分が人にあげられるもの、あげたいものっていうか
自分のこれと、相手のそれを交換したいっていう「これ」を自分で決めたい。やさしさをあげたい。けど、今の社会で人に優しさをあげる人って、弱者って呼ばれる気がする。
それに、優しさを何かと交換するって言葉自体おかしいのか。見返りを求めているならそれは優しさじゃないのか。
自分はいったいどうしたいのか。。。
弱いままじゃダメか。それは甘えか。
強さと優しさは両立する?
やさしいって弱いのか。
自分は自分のこと弱いとは思わない。
弱いと思われているのだろうなあ。
今まで何でも嫌々やっていたのかもしれない。
その自覚すらなかった。
やっと自覚が芽生えたのか。
自分で自分を良き所へ落ち着かせてあげたい。
人に頼らず、期待に負けず、自分の意見を汲めるようになりたい。
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