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目的志向と逆算思考の弊害って?|タスクシュートジャーニー3rdを見て考えたこと
先月のオンラインイベント・『タスクシュートジャーニー』第3回で井上 新八(いのうえ しんぱち)さんが仰ってたことを、ふと思い出していた。
(文字起こしした訳じゃないので、正確な言葉までは不明)
有名な「レンガ職人の話」
井上さんが引用していたのは、この話だ。
旅人が、建築現場でレンガを積んでいる職人3人に「何をしているのか」と聞いた。
1人目
「見れば分かるだろう。仕方なくレンガを積んでいるんだ」
2人目
「家族を養うためにレンガ積みの仕事をしている」
3人目
「歴史に残る大聖堂をつくっている」
1人目は単純作業として、2人目は生活のため、3人目は、後世の人々の心のよりどころとなる大聖堂を建てようと、レンガを積む。
同じ作業をしていても、何を目的とするかによって感じ方は違ってくる。同じ働くなら夢を持って働く「3人目の職人」でありたい……という訓話だ。
ちなみにこの話、実はイソップ寓話ではないらしい。
下記記事を読んだところ、結局は出典不明なんだとか。不思議なこともあるもんだ……
ビジネス界では結構よく聞くので
「ああ、それね……」
と思いながら、アーカイブを聞いていて。
驚いたのはその後。
井上新八さんのびっくり発言
井上さんは
「でも、思うんですよ。1人目の人も全然いいじゃんって」
と。
「ハイハイ、3人目がいいんだってことよね……って、え? 何て? "1人目が良い" って今言った?」
と、思わず画面を二度見した。
「だって1人目は、不満言いつつもちゃんとやってるし……何が悪いの? 自分も結構そんな感じのこと、あるよ?」
と仰っていて。
これにはびっくりしたなぁ……
私も相当あまのじゃくで極端な思考をするほうだけど、そう考えたことはなかった。
参考までに、井上 新八さんはこの方。
習慣化についての考え方・行動が、めっちゃ面白い!
昨年出版された『「やりたいこと」も「やるべきこと」も全部できる! 続ける思考』という本が、かなり売れているらしい。
確かに、「3人目が良い」って本当なの?
このエピソードをふと思い出し、
「なるほど。巷では3人目が良いとされているが、本当にそうかな?」
……と疑問に思った。
素直に考えたら
「大きくて素晴らしい目的のために奮闘しているんだから、単純作業でしかないような自分の仕事にも身が入るってものだ」
という、あくまで前向きな捉え方なんだろう。
でも、この話でもって
「"目的を持って働くこと"は、"目的を持たずに働くこと"よりも尊い」
と決めつけてしまうのは、いかがなものだろうか。
それに、3人目はあくまでも
「『後世の人々の心のよりどころとなるはずの大聖堂』を建てる仕事の一端を担っている"から"、自分の仕事は素晴らしい」
と考えているわけだ。
だが、建てているものがもし「胡散臭いカルト宗教の施設」など、世間に悪影響を与えるものだったらどうだろう?
「そんなことはしたくない」
と仕事を放り出すか、……そうでなくとも彼のモチベーションは一気に下がってしまうのではないだろうか。
つまり「自分も賛同する良い目的であればやる気が出るが、素晴らしいと思えない目的のためだとしたらやる気は出ない」ということだ。
ただ、世界はそんなに分かりやすい「白か黒か」でできてはいない。
多くの人にとって最初は良い宗教団体であってもその後ひどい犯罪組織になってしまう例はよく聞くし、良い面も悪い面も併せ持つ集団なんて世の中に数限りなくある。
そもそも「良い」「悪い」って、誰にとって?
どんな意味合いで?何を根拠に?
どういうレベル感の話?
……などと問いを立てることもできるし、そもそも絶対的な正解・真実など存在するのだろうか。
そう思うと、何の目的もなくただレンガを積む1人目は、ある意味「尊い」のかもしれない。
給料のためでもなく、大いなる目的のためでもなく、ただ淡々とその行動をできているのだから。
井上さんの視点、面白い。
また3人目はあくまで「目的達成が尊い」と考えていることが推測される。おそらく「現在の仕事の作業1つ1つのこと」よりも「将来達成しているはずの理想」に目が向いているのだろう。
この考え方が行き過ぎると、現状の辛さが麻痺してしまうのではないか?
……という懸念も。
これは
「なぜ逆算思考が良くないのか・害になり得るのか」
という話と少々似ている気がする。
目的志向と逆算思考の共通点
2つに共通する根深い問題は、
「今を簡単に犠牲にしてしまいがち」
という点だ。
あまりに夢や目標が甘美であり過ぎるが故に、イマココの貴重さ・大切さを容易に忘れ、現状の自分を否定してしまう。
頑張ればああなれる、
これをすればあの偉業が成し遂げられる、
……という一種の信仰。
もしくは「呪い」めいたものかもしれない。
現状の自己の否定は「ハングリーさ」にも通じる。なるほど、成功のためにはある一定の割合で必要なのかもしれない。
私は別に「頑張りたい」人の足を引っ張りたい訳じゃなくて。
「死ぬまで逆算思考で別に問題ないよ」
って人も確かにいると思うし。
ただ、逆算思考ばかりやっていて辛くなってしまう人も多い。
病んでしまった人や苦しくなった人を、実際に何人も知っている。
タスクシュート協会理事・jMatsuzakiさんもこう言っている。
逆算的に進めて先送りもなければ反省もなく、“今のところ“うまくいっているケースもある
— jMatsuzaki🔥2/24 処女作「先送り0」出版! (@jmatsuzaki) March 9, 2024
しかし、逆算は必ず「うまくいかなくなるタイミング」がくる。目標がエスカレートするから
逆算は常に以前より高い目標を求める。いずれ負のスパイラルに反転する。そのときには、このポストを思い出して欲しい
この世に絶対な善・正解なんて無いと思う。
だから、現状否定や自己否定って、別にしなくていいんじゃないの?
「今の自分もそう悪くないんじゃない? 安易に決めつけて辛くならないでほしい」
と、声を大にして言いたい。
そもそもジャッジする必要があるのか
レンガ職人の話は、1人目2人目3人目が並べられているけど……
そもそも、どうして彼らを比較し優劣をつけなければいけないんだ?
まぁ、ついやってしまうのは分かる。
3つ似たようなものが並んでいたら自然と比較するし
「この話から学ぶとしたら何か、つまりどういうことか?」
と考えてしまうのが人間だ。
だけど、お話から教訓を無理に得ようとする必要はなくて。
単に
「そんな3人がいたんだ。へー面白いなぁ」
で終わってもいいはずだ。
本来、他人をジャッジする必要なんてない。
あまりやり過ぎると凝り固まった考え方になるし、無駄な論争を引き起こしてしまう。
また、危険なのはこの寓話を管理者(リーダー)側が言うこと。
「崇高な目標のために今の時間を捧げよ」
「お前の日々のつまらない仕事に目的を与えてやろう」
という傲慢さが透けて見える。
夢や目的は誰かから押し付けられるものではないし、必ずしも「あるべきもの」でもない。
今の私は
「1人目も2人目も3人目も、自分で満足できているなら別にいいんじゃない?」
と思う。
お仕着せのルールやモットーなんて要らない。それぞれの考えの違いを認め合って、楽しくやっていきたいな。
イベント「タスクシュート・ジャーニー」シリーズは本当に面白く、オンラインセミナー参加に積極的ではない私も毎回楽しませてもらっている。
4回目も近日中に開催予定とのこと。ぜひお見逃しなく!
▼新米トレーナーの奮闘日記
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