レインボーブリッジが開通した日。
今日は何の日?
とGoogleに聞いたところ、1993年の8/26にレインボーブリッジが開通した日とのこと🌉
レインボーブリッジは港区芝浦地区と台場地区を結ぶ吊り橋。
さも知っていたかのように書いたがついさっきwikiで読んだことをそのまま書いた。
どことどこを結んでいたか知らなかった。渡ったこともないし(多分)
レインボーブリッジがない時代の人はどうやって往来していたんだろう。
ぐるっと陸路を東京湾沿?に歩いていたのかな。
だめだ、地理が壊滅的にわからない。
高校生の時、一応地理選択だったんだけどな…
でも先生がなぜかカタクチイワシ(アンチョビ)を授業中に少しずつクラスみんなに配布して食べた記憶しかない、つまり地理で学んだことを全く覚えていないので、私は地理選択だったと言ってはいけない。(カタクチイワシもどこかの国で生産量1位とか何かの理由があったけど、それすら覚えていない。ただ食べたことだけ。)
地理からレインボーブリッジに話を戻すと、レインボーブリッジあたりで青春ぽいことをした思い出がある。
新入社員だった頃、好きな会社の先輩がいた。
その人には遠距離の彼女がいた。
だから好きになってはいけないと思っていたけど、別な先輩社員と飲みながら恋バナをしている中で、好きだと気づいてしまった(恋愛小説みたいな言い回し)。人に話す中で自分の考えや気持ちが整理されるというやつである。これが事実であることを身をもって証明したエピソードだ(弱い気がする)。
その好きだった先輩とは最初は若手メンバー複数の飲み会で距離を縮め、みんなで沖縄旅行や音楽フェスに行くくらいには仲が良かった。
(彼女とうまくいっていないと言っていたのが自分の中でエンジンとなり)交流の中でCD貸しますよとか、旅行したのでお土産あげますよとか、会社帰りたまたま一緒だったのをいいことにお疲れ様ですと話しかけるとか、自分でもこんなに積極的になれるのかとびっくりするくらい何というか、イケイケだった。
そしてどういう経緯でそうなったかわからないけど、お台場に一緒に行って、海が見えるレストラン?的なところでご飯を食べ、ストローが2本ついているゆうじろうみたいな大きいグラスのカクテルを飲み…夕暮れ時にレインボーブリッジが見える水辺で座りながら語った。そして、勇気を振り絞って、「もうこれで2人遊ぶのは最後。彼女に悪いから」と。
何回か遊んでたんかいって感じだね。もう記憶は曖昧だけど、確かに割と順調に距離を詰めていた気がする。フィジカルの何がしは何もなかったけど、見る人によっては浮気です。調子乗ってすみませんでした。
勇気を振り絞った言葉のメタメッセージとしては別れて私を彼女にしてこれからも遊ぼう、だよ。調子乗ってすみませんでした。
そしてその日は家へ帰って、その道中では特に何か返答があったわけではなかったが、記憶ではこれからも会いたい的なオーラを醸し出していた気がする。お花畑フィルターの可能性もあるが。
ちなみにそれからどれくらい経ったかわからないけど、結局私と先輩はうまくいきませんでした。向こうから何となく距離を置かれているのを感じ、2人でご飯誘った時にどう思ってますか?と聞いて、社内恋愛はちょっとみたいなことを言われた。じゃあ期待させないでくれと思った。私が一方的に期待していただけなのかもしれない。
という甘酸っぱい?レインボーブリッジの思い出。
きっといろんな人にもっとたくさん素敵な思い出があるんだろうな。
しばらくお台場らへん行ってないけど、レインボーブリッジ付近を走っている船、いいなって思った記憶がある。クルージングしてみたい。あと、イマーシブフォート?行ってみたい。
これから先レインボーブリッジをもっといい思い出に塗り替えていきたい。
と。今日のお昼に両学長のYouTubeを見て、2000文字入力挑戦をしてみた。
現在まだ1600字弱。ウェブライターさんはすごいね。
なろうと思って書いているわけではないが、ちょっと何かを継続してやってみたいというか、やった、やれるという経験が欲しくて書いてみた。いつまで続くかわからないけど、つらつら書いてみようと思う。
そういえば7月末に受けたTOEICの結果が紙できた。オンラインでもうみたから結果は知っているのだけど。
1年ちょっと前に現在地を知るために受けて580点、1ヶ月後TOEICの解き方のコツを勉強して660点。それから約1年後にあまり勉強せず受けて今回665点。比較的いい気がするが、そもそもこの1年ちゃんと勉強しろ。だから会社で目標800点とか掲げて今更焦ることになるんだよ…
今継続する必要があるのはこのnoteを書く活動ではなくTOEICの勉強なのかもしれない。飽き性の私が何をどこまで続けられるか乞うご期待である。
(1960文字までいったので四捨五入2000文字ということで終わり)