あなたが欲しいものを私はあげられない
さらに事態は悪化していた。
「私が言ってた通りになったじゃないですか。お客さんも来ない、女の子も来ない、アキさん一人でやるつもりですか?」
「知らないわよ」
その日は予約が入っていないから休業することにした。
次の日も予約は入らなかった。そして次の日も。
ニュースでは外を出歩く人たちをまるで悪者のように取り上げ、彼らを受け入れるお店や会場をやり玉にあげて批判した。
今さえしのげば、日常は必ず戻ってくる。
自治体の長が、目を赤くはらし、マスクをつけ、いかにも緊急事態の体で、毎日情報発信をしている。病気の感染者数はまるで戦死者数を読み上げるように発表され、私たちは目には見えない銃弾が飛び交う戦場にいるような気分にさせられた。
「もっと正確な情報がほしい」という声に応えて、行われていた毎日の経過報告は、自然と私たちの望んでいない未来を引き寄せているように感じた。それは、情報が正確かそうでないかという問題ではなく、自分で自分の首を締め上げることになっているのに、それに気づいていて、途中でやめられないドツボにはまっていく……嫌な過去の恋愛パターンを繰り返しているようにアキは感じていた。
お店が休業して一週間が経った頃、
「何もやる気が起きないから、映画でも観るわ」
そう言って、アキはサブスクのオンデマンド映画サービスを開いて、検索し始めた。選んだのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。
ユウカも幼い頃にみたことがある映画だったけれど、あまり覚えていなかった。
1を観終わった時に、アキは言った。
「今を変えるには過去を変えるしかないし、未来を変えるには今を変えるしかない。ロバート・ゼメキスやばい。頭良すぎて引くわ」
そのままの勢いで、PART2を観た。
「2もまぁまぁ面白かったけど、1に比べるとイマイチね。人間、未来を知っても、ロクなことにならないわよね。
「でも、未来を知れたら、避けられる災難もあると思います」
「じゃあ、過去にこの病気が流行ると知っていて、何かできることあった?
あなたがビフ・タネンだとして、できることあった?」
「わからないけど、1年後を今知ることができたら、今何をすべきかはわかるんじゃないですか?」
「同じことじゃない?」
「同じことじゃないですよ。今は情報が少なすぎます。でも1年後なら、どうしたらいいか判断できる正確な情報がもっとあるはずですから」
「1年かそこらじゃわからないし、不安が不安を呼んで、お互疑心暗鬼になって、外で会っても挨拶も交わせないような状況が日常になってるんじゃない?」
「えー、そんな未来嫌です。でも情報がないと不安で仕方ない気もするんです」
「そんな情報ばかり求めたってね、あなたの不安は解消するの? 今日は何人死んだ。明日は何人。それがわかって何になるの?」
ユウカは、たまにアキが宗教家のように、説得力の強い問いかけをしてくることに、最近ではもう慣れていた。その問いかけは、何か答えがあるから訊いているんじゃなくて、アキ自身が本当に知りたいから、問いかけていた言葉、ということもわかっていた。
「この前わたし、神様の話したじゃない? もしさ、本当に神様がいるとして、こういう困ってる状況があったら助けてくれるのかしら」
「絶対助けてくれますよ。だって神様だもん」
「私ね、神様はいない、とまでは思わないけど、神様の優しさって、たぶん私たちが考えているそれじゃない。
たとえば、私たちが神様にお願いするとき、『なんか嫌な奴から助けてください』とか『お金がないから宝くじ当ててください』とか、でもそんな状況に神様は手を貸したりしないわよね。なぜなら、神様は私たちに常に選択肢を与えてくれているから。イジメるやつから逃げる、あるいは殺す。お金を他人から盗む、あるいは自分で稼ぐ。選択肢には良いも悪いもないけど、とにかく私たちには自由が与えられている。
それくらい世界は、豊かで自由で、思いっきりカオスなことが、神様がくれた優しさ」
「ねぇ、アキさん、結局何を選択したらいいんだろうね?」
「どうしようね、みんなで山にでもこもろうか」