見出し画像

戒厳信仰

202号線の混雑は人生に似ている。明るい場所を目指して長い長い列を作るがその行列は遅々として進まない。偶に列を抜ける車は、目的地に着いたが故の脱却か、Uターンを決め込む為の脱落か。警察署の前でいつも以上に良い子の顔で素通りするのも、駐車場の出入り口で車間を詰めて意地の悪い所を見せるのも、列に割り込んでサンキューハザードを付けるのも、全部人生に似ている。渋滞にハマっている間に夕暮れになるのもまた人生だ。

画像35

画像1

画像2

画像3

糸島市前原は自分にとって余り良い思い出のある場所ではない。前原の雰囲気や街並みには懐かしさを覚えるし、糸島という風土も好きではあるのだが、やはり総評すると「つらかった」という言葉が出てくる。多分あの時病んでいたんだけど、なんでそういう悪循環に陥ってしまったのかは覚えていない。それこそ202号線がいつでも混んでいるのとおんなじで、なんとなく人間が嫌いになってなんとなく病んでいったんだと思う。もしかしたらそういう、一種の通過儀礼みたいな時期だっただけかもしれない。全てはつつが無く流れていく。自分の場合はつつがあったけど。

画像4

画像5

画像6

画像7

家を“買った”と言う事でやっと故郷が出来るんだろうと嬉しかった。結局3年ぽっちで引っ越す事になったのが辛かった。家庭内不和も、酔うと暴力を振るう父親も、離婚だって10年以上前から予測の範囲内だったのに、なんで家を買った後なんだと思ったし、呪われろと思った。単身赴任中の父に1週間で家を引き払うと暗に告げられて、逃げる様に段ボールに物を詰めたのが辛かった。永住すると思っていたから既に身軽では無くなっていたし、釘を打って耐震補強した家具達がせせら笑っている様な気がして吐いた。冬の身を切るような寒さが布団の中まで侵入してきて、一向に温まらないのはもしかして死んでいるからじゃないかと思って怖かった。引っ越しが完了するまで父親は応援に駆け付けたりしなかった。彼は離婚から2ヶ月後に再婚していた。それを知ったのは戸籍謄本を取り寄せたからだ。彼の口からカミングアウトされた訳じゃない。

画像8

画像9

画像10

画像11

画像30

画像31

体調と精神に異常をきたしていたのはもっと前からだ。まず場面緘黙から。人にYesNo以外で答える必要がある問いを投げ掛けられると声が出なくなった。言いたい事はあるのに半刻経っても答えないから、「意見がない」と見做されて何もかもが思いと反する方向に向かっていくのが嫌だった。そうして気持ちが蔑ろにされるのが続いたから人間不信になって、被害妄想を拗らせて友達がいなくなった。友達がいなくなったから誰にも何も相談出来なくなってその時も吐いた。夜眠れなくなったのもこの頃で、朝日が昇る頃に憂鬱な気持ちで眠りについた。1時間程度で起床時刻になって、眠い目を擦りながら見る朝の占いは大体6位。パッとしない幸先に一気にやる気が無くなって仮病を使って休んだ回数冬だけで15回。

画像29

画像12

画像13

画像14

誰かに救って欲しくてホットラインにも電話した。死にたい旨と自殺未遂した事実を伝えると「その状態は危険だから」と電話口の女性が拒否しても拒否しても早口に住所を訪ねてきたのが辛かった。人に勧められてカウンセラーにも掛かったけれど、結局信用出来ずに伝えたい事が伝えられないまま「週に1回1時間来てもらってるけど、カウンセリングをもっと必要としていて待ってる人だって沢山いるんですよね」と言われて八方塞がりになってまた死にたくなった。首に明らかな鬱血痕があったけれど可憐なあの子のキスマークみたいに可愛らしい物だったら凄く良かったのに。溺死も練炭も怖いし、飛び降りる勇気も薬を買う金も無い。夜の洗面所でボタボタ涎を垂らしながらポリ袋に胃液を吐くのは定番で、かと思えば過呼吸になりながら笑い転げていたのも躁鬱みたいで今思えば可哀想だ。

画像15

画像16

画像17

画像28

母親の首を絞めて心中しようとした過去を、彼女が触れて来ないのは、忘れているからだとしたら嬉しい。あの時はどうかしていた。だけど現在進行形の希死念慮を過去形に偽装して告白したら被害者みたいな顔をされたのは許していない。彼女は加害者では無いけれど、自分が一番辛い時に追い討ちを掛けてきた前科者だから。父親は確かに人間のカスだったけど、母も子供になら何を言っても良いと思っているクチの人だった。

画像18

画像19

画像20

画像27

前原での思い出を書き出すのならこういう風になってしまう。勿論良い思い出もあるんだろうけど、それを1つ思い出すのに辛い思い出が10出てくる。だから一言「つらかった」

先日、その前原に別れを告げてきた。福岡を出て関東に越すからだ。8回目の引っ越し。そろそろ引っ越しプロになってしまう。相変わらず帰るべき場所はないので4、5年したら飽きてまた引っ越すだろう。

画像26

画像25

画像24

別れを告げた時の前原市街は泣きそうな色をしていた。「泣きたいのはこっちだよ」と思いながら愛機のズームレンズを捻ってかつて暮らした街を捉える。首を吊ったクローゼットのある家も、飛び込もうとした駅のプラットホームも、カフェイン中毒を求めて梯子した薬局も見えた。何もかも最悪だったけれど、それでも、3年間暮らした街を再訪したいと思える日が来るのだろう。

画像33

画像32

画像22

画像21

その時にこの記事を読み返して、色々あったなの一つ一つを笑い飛ばせれば嬉しい。

画像34

画像23









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?