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詩人の会に参加したよ。

 2021年8月25日、いつもは私が音楽で空気を揺らす場所で、綺麗な声に乗せられた言葉で空気を揺らしてもらいました。

 詩人の会に参加した経緯は単純で、少しずつ書き溜めていた詩の“しょうか“とほんの少しの自己顕示欲とまだ見ぬ詩人との遭遇への期待です。

 そんなわけで私、TKGは詩人デビューをしてきました。いや正確に言えば、はなびちゃんとして詩人デビューをしました。TKGは詩人らしい名前ではないので、美しい言葉を編むときははなびちゃんになります。“はなび“という名前、実はガールズバーで以前働いた時に使った源氏ネームです。それにしても花火って美しくないですか。華々しく咲き誇って、儚く消える。そうして私はどこかの誰かの心に少しでも刻まれればそれで良いのです。そんな考えも込めてあります。それと本名にも少し似てるのでこの名前を使わせていただきます。

 そして私は詩人以外にも新たなデビューをこの日飾りました。ソロ黒板デビューです。私の処女作、いかがですか。突然なんの案もないのに書いて、と言われて困惑したのですがなんとか描けたので良かったです。評判も思った以上によくて私と黒板は幸せです。

 さてさて、まだ見ぬ詩人との遭遇という期待を胸に抱いてHWGに一歩を踏み込んだ私でしたが、集まったのは見知った顔ぶれでした。でも詩人としての彼らは見知らぬ人でした。知らぬ人というかもう誰でもないというか。不思議な感覚でした。詩が本人なのか、本人が詩なのか。

 詩に限らず文章は面白い物だと感じました。1回目に詩を聞いた時、2回目に聞いた時で印象が全く違いました。書いた詩人が公開されたからではなくて、詩そのものとして別物でした。学校の国語の授業では絶対に知り得なかった言葉の、文章の美しさ、面白さに出会いました。授業って結局は受動的なものですよね。詩人の会は360°、どの角度から見ても能動的でした。能動的な働きかけは見方を変えるし、楽しさ、得るものを倍増させる、改めて今日そう感じました。

 それと詩人の会に集まる人は芸術家が多い。私は生み出す芸術家ではないけれど、思考する芸術家ではあると思います。芸術家同士でいろんな討論をできたのも楽しかった。詩を聴くことと同様に、脳が震え、心も震えました。私の芸術への渇望とか、芸術について熱く語りたい、討論したいという気持ちが過去最高に満たされました。身体がまだ熱い。詩人の会は芸術家の会なのかもしれない。

 相変わらず私には生み出す才能はないけれど、生まれゆく芸術に心を寄り添わせたい。そう強く思う日でした。

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