私をあなたのエンドクレジットに載せてくれ
自分が相手にほんのり好意を持っている、ぐらいだと、向こうの気持ちがこっちを向いた時に「うーん無理」と思ってしまうタチです。なんか、突然嫌になるんだよな…ほんのり持ってた好意がさっと引いてしまう。「ちょっといいな…」くらいだとそうなるんだ。若い子はこれを蛙化現象と呼んでいることを最近知った。今まで散々「なにそれ、変なの」と言われてきたので、今、この現象に名前がつくくらい、同じ現象に見舞われる人がいるのだなとわかって「なーんだ」と感じている。そもそも私は恋愛対象として人を好きになることがあんまりない。がっつりいいなと思ったのは元旦那とモナリザの二人くらいで、この二人は「絶対に私を好きにはならなそう」というある種の救われなさがあったので長く好きでいられた感じもある。
高校の時に「ちょっとイイナ」と思っていた子もいたけど、好きな女の子がいると噂だったので「ふーんそっか、ちょっと残念だけど応援しよ」と思ってたまにそういう話をしていた。そしたらある日夕陽が差し込む校舎の廊下で(いいシチュエーションだった)「あの、そういう噂があるのは知ってるんだけど、俺が好きなの須郷さんなんだ。」と言われて「え!?なにそれ!?うーん無理」となったので自分でびっくりした。別に交際を申し込む言葉があったわけではないので「ありがとう」と返しただけなんだけど、数年後同級生から「須郷、高校の時〇〇と付き合ってたんだって!?全然知らなかったよ!?」と声をかけられて「まじで!?私も全然知らなかった!今知った!!」となった。ちなみに誰から聞いたの?と尋ねると〇〇君本人から聞いたって言ってたので、どうやら私は自分の知らない間に〇〇君と付き合っていたようです。びっくりだね。
ってそんなわけあるかいこちとらメアドも知らんのだぞ!!?(かなり笑った)
じゃあいつ交際が終了したことになってたんだろう、彼の中で。学内で会った時に話すくらいだったんですけど。どうしたの。
話が霧散した。蛙化現象の話だった。
でもさ、最近ふと思ったのは、私が起こしているのは蛙化現象ではないのでは?ということ。私はおそらく、私に干渉を受けず、私に因らず、私なしに生活や人生が完結する人が好きなんだと思う。(その結果、元旦那はバリバリ共依存のくせに私の心身を完全に度外視し始めた感もある)(矛盾しているように聞こえるが実際こうだった)
モナリザは「ひとりで家の中でいつまででも過ごせる人」で、この人が他人を必要とした場面を私は見たことがないし、本人の話を聞いていてもそう感じる。別に、私がいようといまいと、彼の人生は何にも変わらんのだろうな……と感じられるところがとても好ましい。なのにタイトルのようなことも思うからもうわからない。好ましいのに、それに対して寂しく感じることもあるのが、もう自分で面倒なんだ。一人の人間の中に、色んな面があるし、色んな面でそれぞれ、色んな状況等の条件付けによる選択肢が生まれるから、全てないまぜになって自分で自分の面倒が見られないんだよな。みんな、自己が常に統一されているものなの?すごいな……。
まあ、でも、モナリザの人生のエンドクレジットに、私の名前は載っただろ。流石に。それ自体はまあ、満足かな。
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