「知る」と「怖い」

こんな題にしてみたが、あんまり大した内容ではない。

二十年くらい前に住んでいた所、勤務先が遠くはないけど近くもない会社が借りたアパート。周りにコンビニなども無い。
出勤日は職場の近くの店で色々買って帰ってくるが、休日は散歩も兼ねた買い出しへ、行く先は大抵職場と反対の方向。
そちらにはある程度大きい川と線路があり、越えた先には業務スーパーとかコンビニとかがあった。当時の仕事は夜勤もあったので、行くのは曜日も時間もバラバラ。
川と線路の間には空き地があり、いくつかお地蔵さんがあったが、気にも留めなかった。雨の日にも「お~川の水位スゲェなぁ~」とか思いながら、行き来していた。

何年かの間そうして過ごしていたある夏の夜。その時は小雨が降っていた、昼の雨で川の水は濁り増水していた。
コンビニからの帰り道、空き地の地蔵が目に入る、今まで気にしなかったがよく見ると6体ある。「六地蔵か」と思った時、頭の中で何が繋がる。

川、増水、氾濫、六地蔵……「土左衛門があがったのか」という言葉が口をつく。
そういえば、今は工事されいて立派な堤防があり川には入れないようになっているが、この川は昔「暴れ川」とされ何度も氾濫もしていた。その川沿いこの場所にある六地蔵。この考えが正しいかどうかは分からないが、なんだか妙に合点がいった。
今まで気にも留めなかった。それぞれの意味や歴史を知らなければそのままだった。だが知ってしまうと…
以来、私の中でその場所は「怖い」という程ではないが、
何というか「ほんのり冷ややかな場所」となった。


数年経ち、職場も住まいも変わったがそれほど離れた所ではないので、ふと気が向いて行ってみた。空き地の辺りは整備され家も数件建ち、全く変わってしまっていた。
その新しい家々の間、元のあの場所に、古い六地蔵はまだあった。


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