記憶の器。
たった7分の滞在時間でも行きたいお店。
今日オープンした気仙沼ニッティング東京に閉店15分前に滑り込んだ。それこそ毛糸のニットにジャケットにコートという厚手の服装で走ってギリギリセーフ。晩秋にもかかわらず額に汗かき小ぶりで真新しい店内へと駆け込む。
お店に入ると走ってきた疲れを忘れて元気な気持ちになる。店内を見渡し目当のニットを発見。スリムな感じが好きだから横幅にたるみが目立つかなと心配しながら試着させてもらうと予想以上にジャストフィット。また一気に欲しいゲージが引き上がった。他に試したい色があったので、即買いたくなった気持ちに折り合いをつけて今日のところはお店を後にした。
( 着るとうれしくなり、愛着のわくニットにきっと出会えると思います。けっして安くはないけれど、長く大切に着つづけたいなと思えるはずです )
ちなみにその前は、プロデュースを担当している講座のサポートをしていたし、その前には早朝から足を運んだことがないカフェに訪れた。そのあとには、また同じくプロデュースを担当しているクライアントでもあり友人でも方とディナーだった。
ちなみにちなみにその合間合間にも、いろんなことをしている。たとえば、こんなつぶやきを見つけて謎の自信を持ったり、、、
こんな本をKindleで購入したりした。
( って、タイトル未設定なんかい! ダイヤモンド社さん修正をかけたほうがよいかと )
ここに書いたこと以外にもたくさんのことをしている。し、話している。し、考えている。し、感じている。たった一日、24時間という非常に限定された枠のなかにもたくさんのことが詰まっている。ほんとに溢れんばかりである。というか、実際のところは溢れてしまっていると思う。僕ら人間の記憶の器には収まりきれないから( 脳があえて意図的に )拾わなかったり、抜け落ちてしまっていることがどれほどあるだろうか。
そんなことを考えていると、こうしてまいにち記録のような日記のようなものを書くことに意味があるのではないかと思ったりする。だって、思っているよりずいぶん、きっとずいぶんと多くのことを忘れてしまっていると思うんです、人間というものは。