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それほど、長くない文章であったとしても、文章を書くのにはコミットメントが求められる。

それほど、長くない文章であったとしても、文章を書くのにはコミットメントが求められる。

顔の左半分をしかめながら、ぼくはこの一文をiPhoneでタップした。

ほんとうは記事をあげる前日の夜、もしくは当日の朝、さいあく午後の早いうちにこのnoteエッセイを書き上げる。というスケジュールで毎日を過ごしている。

22:47

今日の記事が書き上がり、アップしたのはいま、22:47である。もう一年と少しのあいだ、毎日記事を書き始めてから歴代三本の指に入る遅い時間の記事アップ。危うく明日になるところだった…。

とりわけ何か大きな理由があるわけではなくて。もちろん実家にいて、父の初盆で、うちの家系では初孫が生まれた弟夫婦が帰ってきていてなど、いろんなことがあって忙しいのは確かだったけれど。絶対に書けない環境、というわけではなかった。

なんとなく書けないまま時間は過ぎ去り、この時間になっていた。そうしていま、書き始めることができた。ではなぜ、書き始めることができたのか?

それは、書くと決めたから、だ。

翌朝目が覚めたら文章が書き上がっている、なんてことはない。もしくは、手が勝手に動き出して文章が書き終わってしまう、なんてことはないわけで。

手を動かして文字を書く。そうしてその前には、よし書くぞ、と決める必要がある。

当たり前のことなんだけれど、今日はそんなことを実感している。こんな夜には、毎日こうして書いていることを褒めてあげたいなぁ、と。

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