短編:【感情ディフューザー】
完璧な人間がいないように、生きる意味の無い人間もまたいない。無表情で感情を表に出さない人もいれば、感情を振り撒き散らして、周囲を巻き込む人間もいる。
そんな感情を拡散する、ディフューザーのような男の話。
「やっぱりオレって生きる価値無いんだよ…」
「お!出た!ヒロシのネガティブモード!」
週末深夜の居酒屋。男3人で飲んでいる。
スーツ姿のヒロシ、上着を脱いでワイシャツ腕まくりスタイルのタケル、カジュアルのケンタ。大学時代の腐れ縁である。周りが泥酔状態で支離滅裂な話をしている中、自分に酔ったように静かに語りだす、このヒロシが、本日の主人公。
「今日さ…仕事の失敗を部長に怒られてさぁ…」
「そりゃあ失敗したら怒られるだろう…」
タケルはどこか兄貴気質なところがあり、正論が多い。
「いや失敗というか…、部長のヤツ、やったことも無い案件をオレに押し付けて、こう…テンヤワンヤする様子を見て笑おうって魂胆がみえみえなんだよ、…もう悔しくてさ!」
「あ〜確かに、やったこと無いのに最初から上手く、ってのは難しいな〜」
デサイン事務所で働くケンタは人間味があって、いつも優しい。
「でしょうぉ!」
「でもその上司に、やったこと無いです、って主張したか?解らないから教えて欲しいって。…それか自分で調べてから挑戦するとか?」
タケルの真っ当な言葉がヒロシを突き放す。
「ほら、オレ口下手だろ?それに調べる時間も無かったから、とりあえずやるしか無かったんだよ…」
「そんなの無理だろう!仕事だけじゃない!卓球だって駅伝だって、練習なくして、いきなり試合、公式戦なんて、上手く出来る方が珍しい!」
「ん…って言うか、部長だってやったことが無いことを部下に振っておいて無責任なんだよな、会社として!」
「ん〜微妙だな〜」
「何がだよ!?」
柔らかい口調だが、しっかり大人の意見を言うタケル。
「だってね、仕事の話が来て、説明聞いた時点で解る解らない、出来る出来ない、やる断る、って見えるじゃん」
「いやいやいや、さっきも言ったけど、オレは超口下手なの!それにウチの会社、やらないって選択は無いワケ。出来ないってことも言えない。解らなくても知ってる顔して業務にあたる!それが通常!ディフォルトなの!」
ケンタもやんわり返す。
「何か良く解らないけど、だからって叱られたことの感情を拡散されてもなぁ…」
「そうだよな…例えお前の会社が仮にブラックだったとしてもさ、仲間との呑みの席で、出来なかったウサ晴らしされても…」
実にコンビネーションの良い3人である。
「なんで同情してくれないんだよ!親友が怒られて凹んで、ああ〜泣きそう〜死にたい〜って言ってるのに…」
「同情はする?…かなぁ…少なくとも泣いてないし…」
「死にたいとかも言ってないよな…生きている価値が無い〜とは言ってたけど…」
「なんだよなんだよ!2人揃って会社の味方かよ!」
「会社の味方はしないよ。ただ、1回仕事失敗して怒られて、それで生きる価値が無い〜なんて、あまりに打たれ弱すぎじゃないの?…ヒロシたん!」
茶化し気味にタケルが言う。
「そうそう、ネガティブモードのヒロシたんは、同情して欲しいんだよな」
ケンタも優しく続く。いつものようにからかう2人。
「んだよ!馬鹿にして!それだけじゃないよ…この前入ったガールズバーがボッタクリでさ〜」
どうでも良い愚痴を二連チャンで聞かされそうなので、タケルがストップをかける。
「…なあ、ヒロシよぉ…俺ら、もう学生じゃないんだわ。ケンタなんか結婚して、来年には子供も生まれる。実のところ大した事柄でもないのに、ガキみたいに周り巻き込んで、感情撒き散らして、いい加減大人になれや…」
優しく続くケンタ。
「まあウチに子供が出来るとか、個人的問題はどうでもいいけど。…毎日の暮らしで、大なり小なり、誰もが1つや2つ何か悩みを抱えていて、それを問題にせず、表に出さずに生きているわけだ…」
タケルの正論がトドメを指す。
「お前みたいに、世間が悪い、時代が悪い、政治が、会社が部長が、周りが悪いって、他人のせいばかりするお子ちゃまの、自分よがりな生き方、考え方、その感情を撒き散らす姿勢が、また他の誰かを不快にして、その負の蓄積が、連鎖してるんじゃないのかな?…いまの世の中…」
ヒロシはテーブルをダン!と叩いて立ち上がった。
「何だよ!人を子ども扱いしやがって!」
そう言うとトイレに逃げ込む。
やれやれと飲み直す、残された2人。
わずか3分後。ニタニタ笑ったヒロシが席に戻ってくる。
「…で、来月の連休、どーする?どっか行こうぜ〜?…3人で!」
「ホントお前の“感情スイッチ”、…どうなってるワケ?」
「死ぬんじゃなかったのか〜?」
「トイレにカレンダーがあったんだ。そしたら来月に連休があるじゃん!?」
「まあその単純さ、嫌いじゃないけどね…」
「で、どうする来月の連休…」
「俺、仕事」
「ウチは女房の実家に帰省」
「え〜〜〜、オレをひとりにするのかよ〜」
ビールに指をツッコミ、目の下に点々と涙を描く。
「ぴえ〜ん!」
「変わらねえなぁ、ヒロシは…」
「ダメだぞ〜酒の一滴は血の一滴なんだから!」
「なんだよ〜酒の一滴はオレの涙の一滴なんだぞ〜!」
泣いて笑って怒ってと、大忙しなヒロシであった。
「つづく」 作:スエナガ